俺多分ドラマの主人公

大瀬戸バカ日記

大学1年生大瀬戸。このブログを読めば日々がちょっとドラマチックになる。

情熱の分散が、情熱をさらに加速させる。

 

卵は一つのカゴに盛るな 


「分散」という言葉について書かれた記事の多くにはこの名言がセットになって書かれています。それくらいこの言葉は分散のリスクとそれの対策を綺麗にまとめているということ。

 

 

今回は情熱の分散の魅力、それから一般的な考えとは少しズレる僕の持論について書いていきます。

 

 

 

 

 

大前提:情熱は分散させるべき

とにもかくにもこれがまず前提です。基本的な説明をしておくと、これは文字通り「自分が情熱を注げるものを複数持っておくこと」が大事ということ。

 

一つに入れ込みすぎると、その一つの状況で自分の精神の安定度が大きく変化してしまう。つまり、自分が情熱を注いでいる物事に振り回されてしまうのです。だから、情熱の対象をいくつも作って複数に対してアプローチする。

 

 

 

 

これはよく恋愛にも通ずると言われ、その名の通り「情熱分散理論」なんて名前で語られたりします。1人の女の子に執着しすぎると「この子を口説けなかったらもう自分には後がない」と思いつめてしまい、女子に振られぬようやたら下手に出たりキョドったりする。そして結果女子にキモがられ振られる。ということ。

 

 

対して口説く(=情熱を注ぐ)女の子が複数いれば、「別にこの子彼女にできなくてもあの子がいるし」といった風にストックに対する余裕が出ます。そして結果としてはこの余裕を持つ男のほうがモテる。チャラ男がモテるっていうのは、まぁ他にも重要な要素があるのですが基本的にはどうやらこんな仕組みのよう。

 

 

 

さて、話が若干逸れてしまいましたが戻ります。上のように僕たちは情熱の分散をさせることでよりよく生きられるということです。例えば色んな趣味を持つとか。仕事や学校で上手く行かなかったら、趣味のギターに情熱を注いでしばし現実を忘れる。そうしている内に仕事への情熱はまた回復していく。そのタイミングでまた戻る。

 

 

 

 

僕はこれをソシャゲの回復待ちみたいなものだと考えています。一つのゲームで体力が切れた(=何か嫌なことがあってやる気をなくした)ら、別のゲームでしばらく遊んでればそのゲームの体力は回復する。

 

 

 

 

 

そして、ここからが僕の持論です。

 

 

 

よく情熱の分散について語られる時はただ「分散」という風に書かれることが非常に多いのですが、僕はこれに違和感を感じています。なぜなら、ただ分散してそのまま同時進行させると情熱がもったいないから。

 

 

情熱のマルチタスクはもったいない

 

 

 

 

人間、何かを成し遂げるにはやる気なり情熱といったものが必要なのは明らかなのですが、その情熱を一点に注ぐ必要があると知っている人はそこまで多くありません

 

 

 

僕が何を言いたいのかというと、情熱は分散した上でスイッチのように切り替えるのがよい、です。

 

 

 

上の例であれば、仕事をやる時は仕事に全てのエネルギーを注ぎ込み、他のこと(趣味のギターなど)のことは考えない。しかしひとたび仕事へのパワーが切れたら、すぐさま趣味に全力投球する。その間、仕事への情熱は回復していきます。そしてまた仕事へ......という感じです。

 

 

 

 

 

情熱の分散について書いてはきましたが、結局は逃げ道を増やせばいいという話です。攻撃、挑戦する道は多すぎると迷うけど、逃げ道はいくつあっても困らない。そういう話です。

 

 

 

 

その逃げ道はなんでも良いです。音楽でも、旅でも、ゲームでも、運動でも.....

 

 

 

 

逃げることに、罪悪感を感じずに、逃げまくりましょう。戦略的撤退。

 

 

 

 

逃げるのが上手いやつはカッコいいとまで思います。

 

 

 

それでは。大瀬戸でした。