本日のドラマチック

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首都圏在住の大学一年生。Twitter:@climax_in_drama

出会いの重要性と、注意事項

 


僕が大好きな「深夜」という詩集にこんな詩があります。

 

 

 

 

人は 誰しもこころにくすんだ孤独を抱えている

 

 

雨染みのついた心臓は何を欲しているのか

 

 

それは境遇を同じくした孤独との出会いだ

 

 

人生の交点に透明は宿る

 

 

 

 

 

 

もちろんこんな詩集は存在しませんし、なんならこの詩モドキは僕が炭酸水にガリガリくんソーダ味を突っ込んでかき混ぜながら適当に作ったものです。これめちゃくちゃに美味しいので夏になったら記事にします。

いきなりこんなくだらん自作詩を記事の冒頭に置いて何がしたいんだと言われれば、特に意味は無いので僕はうるせぇと吠えます。書かせろこういうの。好きなんだよ。

 

 

 

とにかく、今回の記事の話題は冒頭の詩やタイトルにもある通り出会いの重要性です。出会いという言葉には様々な意味がありますが、今回は「異なる価値観、背景を持つ人間との遭遇」という角度で記事を進めていきます。

 

 

 

 僕はもう18歳で、今年19歳になります。曲がりなりにも18年は生きたことで、様々な人に出会いました。フィリピン生まれ富山育ちのイケメン、父親が経営者のやつ、中3の受験終わりから東大に入るための受験勉強をスタートさせた陸上部の仲間(受かった)、など。

 

 

 

みんなそれぞれ僕とは違うモノを持っているし、学び取ることが数多くあったのも確かです。しかし、思い返してみればそれぞれの出会いは小、中、高と同じコミュニティに属していた人間とのもの。僕の高校は地区では少し頭が良いと言われているのですが、そのせいか落ち着いた人が多いところでした。上に挙げた彼らもそう。

 

 

 

このように、同じコミュニティに属している人間とは、背景に多少の違いが出ようと根本的な人間味というものはどうしても似てきてしまいます。それは高校に限らず、大学でも、会社でも。

 

 

 

特に大学には色んな奴がいる!といいますが、やはり大学には受験なりなんなりをして入らなければいけないので多様性は生まれど同じところを向いていることが多いです。

 

 

 

かといってそれらの出会いをないがしろにしているわけではなく、そこで出会った友達が一生の友となることも多いでしょう。僕も高校の友達にはそんなやつらがいます。

 

 

 

しかし、完全な新規性を帯びている出会いにこだわるとしたらどうすればいいのか。

 

 

 

それを得るには全く違うフィールドに飛び込んでみること。ネットブログである程度信頼性が担保されている人物でも、そうでなくともよいですが、とにかく身近なコミュニティを離れて出会いを探してみる。最近はネットが発達しているため、比較的簡単にイベントを見つけることができるかと思います。

 

 

 

そうすると、それはそれは沢山の「出会い」が生まれます。僕は先日とある機会があり、その意味での出会いを沢山頂きました。大学4年生で僕よりたったの3個上にもかかわらずエンジニアチームを組んでバリバリ活動されている方、また人材系の会社の運営をされている方、日本史が好きすぎて大学では日本史を学ぶ学部に入って勉強する傍らブログを書いている方、転売で大学3年生ながら月に10万円単位で稼いでいる方。

 

 

 

偉そうな言い方になってしまいそうですが、若いうちから努力して行動して、結果まで出している彼らは本当にカッコいい人たちでした。彼らと話をさせて頂いた時間は短いものでしたが、その時間でも僕は「あ、この人めちゃめちゃすげぇ人だわ」と心で感じるほどでした。

 

 

 

様々な人に出会い、僕はあのたったの数時間で視野が少し広がりました。「あ、こんな生き方もあるのか」「大学生活をこういう風に使ってる人もいるのか」などと。

 

 

 

 

出会いというものはそれくらいに面白く、貴重です。人間は強く強く意識しない限り自分にない要素を自分で割り出すことはできませんが、そのない要素を持っている他人と交流することで比較的簡単に新しい発見をすることができます。

 

例えば、僕は先述のイベントでとある社会人2年生の方に「大学のうちはとにかく金稼ぎをやってみろ!!」とアドバイスを頂きました。その方法論についても少しだけ教えていただいたのですが、その中には今まで自分が考え付きもしなかったものもありました。ここで僕の視野が1°広がったというわけです。

 

 

 

 

しかし、僕はただ視野を広げるだけでは意味がないと考えています。ただ人に出会った、話を聞いた、アドバイスを貰った。それだけではただ首の動く角度が広がっただけにすぎない。

 

 

もちろんそれは視野が広がったといっても差し支えないのですが、なんせ自分で行動していないので視力が悪い解像度が低い

出会いで得たものは、それだけでは意味を成さないと僕は思います。

 

 

出会いによって得た活力の種を自身で行動/結果というカタチに昇華させなければ、いつまでも目の悪いフクロウのままとなってしまいます。沢山の人に出会ったから首は回るし色んな視点はあるけど、それぞれの視点について自分で何かアクションを起こしていないから見通しが悪い。そうならないように、まずは動く。

自戒を多分に込めて書きました。

 

 

 

 

 

結局、出会いはとても有益なものですが、やはりその出会いの後に自分で走り出せる人間が強いなと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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なんて、また意識高い系の記事を書いてしまいました。ちなみに僕の意識高い系への考えはこちらの記事で紹介しています。

 

www.dramatic-today.com

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁいいよね、行ったイベントはそれこそ「意識高い系」だったし。

 

 

 

 

 

 

それでは、また次の記事で。