俺多分ドラマの主人公

大瀬戸日舎(にっしゃ)

大学1年生。大瀬戸。このブログを読めば心がちょっとドラマチックになる。

自分の抱いた感情をネットで検索する癖

いつからなのか、と聞かれると答えに詰まってしまうのだけれど、俺には自分の抱いた感情をネットで検索する癖があった。中学生の時などは「恋人 嫉妬 苦しい」と検索し、高校生の時は「部活 怪我 悔しい」「受験 やめたい」と検索した。なぜなのかというとこれも簡潔に説明できないのだけど、とにかく自分のやり切れなかったり初めての感情に対してインターネットの世界にすぐに効く薬を求めていたように思う。

 

 

 

検索窓に自分の思いを吐き出すと、そこには自分と同じ、いや同じ感情ではないんだろうけど、少なくとも言葉にすれば同じものとしてみなされる感情を抱く沢山の仲間達によって生まれた検索候補が出てきて、それになんだか安心した。

俺は一人じゃないなんてことははじめから分かっていたけれど、俺の他にも人がいると分かったことは嬉しかった。

 

 

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月日は流れて俺は大学生になった。

大学に入って4ヶ月くらいだけど、まぁそれなりに色々なことはあった。たとえば俺は人を好きになるのが早くて、気持ちを伝えるのも早いんだけれど、ついこの前俺は振られた。確かに心臓は嫌な動き方をしていたけど、なぜか、分からなかったなぞなぞの答えを知ったときのような爽快感というか、なんだそれなら早く教えてくれればよかったのにといった初めての感情を抱いた。とにかくいつもとは違った。

この気持ちが分からなくて、帰りの電車で、検索窓に

 

「告白 失敗 安心」

 

 

と打ち込んだ。打ち込んだところで、俺は検索せずに文字を全部消してスマホをポケットにしまった。この時に気づいた。もうこんなことをする歳じゃないと。

 

 

 

 

 

 

 

物事や感情の正解が分からず一人で思い悩む経験は若い時に必要だとよく言うけれど、俺は中学生高校生のその時期に一人で悩みすぎた結果、己の救済の手段としてインターネットを使いある種での"孤独からの解放"をしているものだから、どうにも曲がった心になってしまった。ただ俺はインターネットに感謝している。この曲がった心は我ながら好きだし、曲がっているからこそ見えることも、ぶつかることも、沢山ありそうで楽しみではある。

 

 

 

おかげで大学生になった今は誰に頼まれた訳でもないのに、PV数が1日30にも満たないのに、インターネットの岐阜県みたいなところで文章を書いている(岐阜県のみなさん、ごめんなさい。来年にはこの岐阜県をロサンゼルス並みの規模にしてみせます)。

 

 

 

 

そして大学生となった今、やってきたこととは裏腹に俺はやはり孤独な感情に向き合わないといけないなと感じている。最近で言えば好きな女の子に振られたあとの気持ちとか。キモいけど。

 

10代のこの感情の消化をサボったままインターネットで類似品を探すことはもう終わりにしたい。インターネットに沢山救われたのは事実だけれど、自分の感情をなんとかするために検索窓に救いを求めるのはもうやめたい。そろそろ自分で自分を救う練習でもしておきたい。

 

 

 

 

今までの俺は考えて考えて分からなくなって、インターネットに答えを探しに行っていたけど、これからの俺は考えて考えて、頭を使った上で、あくまで自分で折り合いをつけたり文章に落とし込んだりして次に進みたい。簡単に言えば、俺は"オトナ"になりたい。補助輪無しで俺を操縦しきってみたい。そんな感じ。

 

 

 

 

そして、今までは感情の対処が知りたくてインターネットを使っていたけれど、これから俺は誰か(俺と同年代から少し下の年代)にとっての中ヒントくらいにはなるものを発信するのにインターネット使っていこうかとおもっています。 俺自身はインターネットで自分の感情を救おうとするのはやめるのに。

 

 

 

 

言ってることとやろうとしてることがズレてるじゃないかって話だけど、やっぱりこれから中学時代高校時代を迎える人たちっていうのはまさにインターネットのど真ん中にいるから。俺は2000年に生まれたミレニアムベイビーだからまぁ今だってインターネット直撃世代とは言えるんだけど、iPhoneが登場した時は8歳だったし、歴代で一番売れたと言われているiPhone6が発売されている時俺は中2で、iPhoneではなくiPod touchをポチポチ使っていたくらい。

 

 

 

対して今はどうだ。

俺が小学校の時はパソコンルームに置いてあるパソコンでおもしろフラッシュ倉庫を漁ってバスト占いの歌を聴いて友達と爆笑していたり、リアルドラえもんをみんなの前でこれみよがしに再生し「ちょっとグロ耐性強めの俺」を演じていたり(本当は苦手)していたけど、今は小学生でもiPhoneXを操作してYouTubeで水溜りボンドやヒカキンを見て楽しんだり、TikTokでネタ系投稿を見てはゲラゲラと笑い学校の友だちとの会話のネタにしていたり、暇つぶしにネットを見ていたりする。

 

 

 

 

そしてこれだけインターネットに触れる子供人口が増えたのだから、「インターネットに投稿された文章に感銘を受けたり、それによって生き方が変わったりする」人は必ず生まれる。しかもその数は少なくない。

 

 

 

「ネットなどに感銘を受けるのは論外だ。映画など映像作品こそ、書籍こそ、芸術こそ心を揺さぶるにふさわしいのだ」と主張する人々(程度の違いはあれどネットの影響を否定する)はまだまだ多いとは思うが、もう少しすればそんな時代は終わる。

 

 

 

 

昔は(もちろん今もだけど)文章で人生が変わるといえば、本を読んでそれに感銘を受けるのが普通だった。それは本が一番手近で安価な情報媒体だったからであって、インターネットが発達した今それにスマホが加わっても何らおかしい話ではない。

今はありえないけれど、これから先の未来で芸能人が自分の人生を変えた言葉なんてのを聞かれて、いつだかネットで見たブログの記事に書かれてあったこんな言葉が....なんて言う日が来ても何もおかしくない。

 

 

 

 

そんな世の中だから、確かに俺自身は悩み事においてもうインターネットをアテにするのは極力控えたいけど、これは個人的な目標であって。

俺は自分より少し下の年齢層の人たちに向けて何かヒントになりそうなものを書いて発信したい。昔の若者が人生に悩んだ時になんとなくすがった古びた文庫本のような、そんなものになることを願って。

 

 

 

何やら長々と書いていたら分かりづらい文章になってしまった。俺はわかりづらい奴だな本当に。絶対友達にはしたくないタイプだ。