俺多分ドラマの主人公

大瀬戸日舎(にっしゃ)

大学1年生。大瀬戸。このブログを読めば心がちょっとドラマチックになる。

学生は、迷ったらきつい方を選ぼう

 

 僕の好きな小説である「季節」という作品の一節にこんなものがあります。

主人公の身の周りで起こる様々な出来事に対して、思い悩みながらも突き進んでいった彼の青春時代の回想シーンです。

 

 

 

ぼくは生きた。この世の中を。ぼくは選択した。この自分を。

 

迷い、苛立ち、叫び、生きた。

 

ぼくは沢山間違えた。間違えてばかりだった。

 

そんなぼくだが、ひとつだけ間違っていないと胸を張って言えることがある。

 

それは"決して安易な道に滑り落ちずに生きた"ことだ。

 

人間は弱い。何も考えずに生きていればすぐに楽な方向へと歩いてしまう。そこをこらえるのだ。

 

迷えば、まず険しい道を行く。若いものはこれでよい。

 

もしも傷を負いそうになったら、帰ってくればよい。

 

そうして少し休んだら、また外に出る。

 

こうして、成長していくのだ。

 

 

 

 

実際には「季節」なんて小説は存在せず上の文章も僕が自室で適当に10分程度で書いたものなのですが、この記事で言いたいことは大体つかむことができたかと思います。

そう、簡単に言えば「迷ったらきつい方」という考えについてです。

 

 

 

 

 

 

そしてこの言葉の通り、僕たちは日々たくさんの選択に迫られながら生きています。

 

 

 

 

朝、パンを食べるか、お米を食べるか。

 

 

 

今日はTシャツ一枚で行くか、トレーナーで行くか。

 

 

 

欲しいあのスニーカーを買うか、買わないか。

 

 

 

他人に優しくするか、しないか。

 

 

 

 

 

基本的に日常での選択は無意識のうちに処理されるものが大半で、意識の水面に浮かんできたとしても一瞬で決まるものが多い。

 

 

 

 

でも、この人生を生きていると必ず大きな選択に迫られる時がある。

そんな時、明確な指針を持って決断を下していると自信を持って言える人がどれだけいるだろうか。

 

 

 

 

 

もし、自分にその明確な指針が無いのならば、明日からは「迷ったらきつい方」という指針をもとに生きてみることを強くおすすめする。特に学生の間は。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

僕は高校受験を控えた中学3年生の秋に、まだ迷っていた。陸上競技の強豪校に推薦入学をするか、公立の進学校へ行き難関大学への進学を狙い三年間勉強をしながらも陸上をやるか。

 

 

そんな迷いを母親に伝えたところ、母親は僕に「迷ったらきつい方に行きな。その方が絶対に得られるものは多いから。」と言いました。

 

 

 

僕はその言葉をまだ覚えていて、未だに人生における選択をする時はその言葉を思い浮かべます。

 

 

 

 

ここで一切の勉強をやめてスポーツ校に推薦で入るのは楽かもしれない。僕は勉強が好きじゃなかったし、曲がりなりにも陸上で全国大会に出場していたのだから、高校でトップと言わずともある程度の活躍ならできる気もした。

 

 

でも、僕はその選択肢を考えるたびにあの言葉のことも考えていた

 

 

 

 

 

 

 

結果、僕は公立の進学校に行くと決心し勉強。それまでの貯金は多少あったものの秋からの追い込みが功を奏し何とか合格。僕の高校の合格発表は「受験生全員が学校の窓口の前に並び、そこで封筒をもらい、開けて合否を確認する」 という心拍数の上昇率で考えたら富士急の新アトラクションとして採用しても差し支えなさそうな方式を取っていたが、そこで「合格」の文字を見た瞬間、「あの時きつい方選んでて良かったな」と心の底から思った

 

 

 

 

 

人生において分岐が存在する時、それらには必ず「きつさ」という観点での優劣が存在する。そんな分岐点に立った時、人は良く楽な方を選ぼうとする。こればっかりはしょうがない。人間は弱いのだから。

 

 

 

 

でも、僕はきつい方を選ぶべきだと思う。自分の感覚からして「きつそう」と思うということは、それが自分の能力で処理できる物事のエリアを越えているということ。

 

 

 

 

 

そこにあえて飛び込んでいく。これが社会人ならそこまでの冒険、挑戦をするのは頂けないかもしれないけど、学生なら是非に挑戦をするべき。戦いの中で成長できる。

 

 

 

 

 

一度その道に進むと決心し、壁を越えるための努力をする。

 

 

その時点で、人は成長する

 

 

 

 

 

もしこれで楽な道を選んだらどうか?自分の能力で十分処理しきれる、越えるのが容易な壁をヒョイと越えて終わり。成長も何もあったもんじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

スマブラでレベル3のCPと戦って練習するか、レベル8のCPと戦って練習するか、強くなれるのはどっちか。答えは明白。

 

 

 

 

 

 

偉そうなことを18歳の癖に書いてしまいました。俺もこの記事に恥じぬようレベル8,いや9、10の相手と戦って日々成長します。

 

 

 

 

 

 

 

それでは。大瀬戸でした。

 

 

 

 

 

受験生にオススメしたい効率の良い英単語の暗記法

こんにちは。僕は先日紆余曲折、、魑魅魍魎、様々なことがありハンドルネームを変更して大瀬戸バカ太郎って名前になりました。元々人として知性が欠けてる癖してハンドルネームに「バカ」とか入れたらどうなっちゃうんですかね。負符号の掛け合わせで正になったりしねぇかな。

まぁ簡単に言うとブログが友達にバレそうになって慌てて名前変更したって感じです。もう変えません。次バレたらその友達はっ倒して記憶消します。

 

 

 

 

 

 

さて、今回は英単語の暗記法について紹介します。僕は高校時代一番得意な科目が英語であり、河合模試では平均偏差値69ほどでした。本当に英語ができる人はこの模試で偏差値75とか平気で取ってくるので僕の実力はそういう方からしたらしょぼいものではありますが、僕は高校2年の冬に受けた河合模試の英語の偏差値が57であり、そこから英語の勉強を本気でした結果、アベレージで69取れるまでに成長しました。最高偏差値は72くらいです。大学入試でもいわゆる「英語ムズい」と言われている大学に現役でなんとか滑り込むことができました。

 

 

 

 

つまり、元から英語鬼デキる!とかではなく公立高校のパンピーが必死こいて勉強したら成長したというもの。受験勉強を始めたけど英単語が覚えられずに模試や定期テストで点が取れなくて悔しいという方の力になれる自信があります。

 

 

 

 

 

英単語を効率よく暗記するには

 

高速周回です。これに尽きます。やり方としては

 

 

単語帳を開く

1単語0.5秒くらいのペースで次、次、次といった風に見る

その章が終わったらもう一度最初から同じことをする

章の単語全ての説明が一瞬で浮かぶようになったら次の章へ

 

といった感じです。覚えよう覚えようとして単語を凝視!というのはしません。その凝視している時間でどんどん先に行きましょう。分かるものも、分からないものも、等しく一瞬。

 

 

ちなみに持論ではありますが、覚えられないからといって分からない単語を重点的にやるのはあまり頂けないと僕は思っています。なぜなら、そういう暗記法をしているとその単語を見る時絶対に「覚えられないやつ」というカテゴライズを無意識下で行ってしまっているからです。覚えられないから覚えないと!という姿勢は「覚えられない」という事実をより色濃く心に刻んでしまいます。ちょっと怪しい単語があっても、バッチリ覚えている単語と同じように扱うのも良いかもしれません。あくまで持論。

 

 

また、多くの単語帳には派生語が載っているかと思いますが、これに関しても一度で覚える必要は全くありません。周回していく内に元の単語の意味が一瞬で出てくるようになるので、そうなって余裕が出てから視線を派生語にずらしていきましょう。所詮は派生語。幹となる単語が脊髄反射で飛び出てくるレベルになるまではそちらに集中。

 

 

いきなりですが、なぜ僕たちは一夜漬けで詰め込んだ定期テストの知識はすぐに忘れるのに、友達の顔や名前を覚えることができるのだと思いますか?

 

 

それは接触回数が多いからです。詰め込みの知識は文字通り一夜で暗記しようとしているため1回しか触れませんが、友達は学校や会社などあるコミュニティに行けば接触の回数が増えます。たった一回「◯◯おはよう」と挨拶をするだけの仲でも、それが一週間続けば相手の名前と顔は絶対に覚えられます。

 

 

つまり、ミルフィーユのように薄く多くを意識すれば物事は記憶できるというわけです。音楽だってそうです。僕の母は幼少期よりピアノをやっていたらしいのですが、当時の先生に「1日サボったら取り返すのに3日はかかる」と言われていたといいます。もちろんそこには音楽の特性なども関連してくるとは思いますが、基本的には「触れないことによって記憶が薄れていく」のです。とにかく繰り返す。繰り返す。

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 このクソきったねぇ単語帳は僕が受験期に使用していた「鉄壁」と呼ばれる単語帳です。僕はこいつで偏差値爆上げさせました。最高。

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ただ方法論として繰り返すことを言うだけではなんだか説得力に欠けるので貼っておきます。

暇な時、やる気がでない時、電車の移動時間、駅の階段を登る時、降りる時、学校までの道、学校までの道の横断歩道の信号待ちの時間、その他ほぼ全てのスキマ時間に僕はこの単語帳を開いていました。

 

努力自慢に聞こえてしまったなら申し訳ないですが、あくまで一例。

もっと少ない努力量で僕より沢山の単語を高い解像度で覚えられる人もこの世には沢山います。ですが、自分にはそんな優秀な地頭は備わっていないと理解していたので、正面からの努力という道しか無かったというだけの話です。

 

とはいえ、このくらいやると英単語に関して心配な部分はほとんど消え失せます。あと、ここまでやりこむと一種の意地のようなものが生まれて楽しくなってきます。「ここまで来たらもっとボロくなるまで使いてぇな」みたいな。

愛着というより、愛。

 

 

 

 

また、音読についてですが、僕の考えでは単語帳を使って学習している時には音読する必要はありません。もちろん付属のCDなどでリスニングの練習をするのは良いことだと思いますが、本格的な音読となると過去問や問題集に掲載されている長文を音読する方が良いかと思います。

 

 

ここで一つ、僕が大学受験英語における「音読崇拝」について受験生時代考えていたことを書きます。

 

英語学習というのは日本の大学受験だけではなく世界各国で行われています。ですが、日本ほど音読を大切に、口を悪くして言えば盲目的に音読を勧めるところはありません。一度気になって塾の先生にそのことを聞いてみたところ「音読に絶大な効果があると言っているのは日本くらい。ただ、音読で実際に成績を急上昇させた人も実在するから話がこんがらがってくる。」と言っていました。

 

海外の大学で、世界レベルで見てもトップの頭脳を持つ大学教授が英語学習についてまとめた論文に音読を勧めているパートが見受けられることは少ないということです。

 

 

偉そうなことを書いてしまいましたが、この分野については僕は確かな答えを出すことができません。言うとしたら、「音読をただ漠然とやるのは時間がもったいない」「やるなら自分がこれをやれば成績が上がると信じた方法でやる」です。音読を受験英語においての秘密兵器、ジョーカーのように必要以上に崇拝している人が学校や塾に多かったので、一応書いておきました。

 

 

 

 

 

まとめ

  • 英単語暗記は高速暗記がオススメ
  • 音読はやるならよく調べてから信じた方法でやる

です。

 

これからも英語の勉強法についての記事は随時アップしていこうと思いますが、なにか質問や要望などがあれば僕のTwitterにぜひメッセージをよろしくお願いします!

 

twitter.com

 

それでは。

自分の過去を自慢した瞬間、時間は止まる

こんにちは。

 

 

 

あなたの周りにやたら「自慢」をする奴、いますか。

 

 

 

僕の周りにはいます。というか、大学入って増えました。そしてその自慢についての考えを書いていく前にここでお話するのは、先週僕が大学のクラスの友達数人と出かけた時の話です。

 

 

 

 

 

 

僕のクラスは比較的男女の仲が良く、必修の授業などでもワイワイ喋って盛り上がっています。そんな中、僕の友達のユキヒコに誘われ、仲の良い男女4人で出かけることになりました。ユキヒコとは入学後すぐから割と仲が良く、話しやすいのでその集まりはまぁ楽しみにしていました。

 

 

 

 

そして当日。その4人で渋谷をうろついたり、クレープを食べたり、必修の授業の先生のモノマネをしたり。まぁ一般的な大学1年生の春、といったことをしていました。

しかし、ユキヒコ。男子だけで喋っている時は普通に面白いやつだったのに、女子と一緒にいるとありえない頻度で自分の自慢話をする

 

 

 

 

 

「クラブとか中学生の時に行き過ぎて飽きたんだよねw先輩に偽造のID作ってもらって入ってさw」

 

 

 

 

 

「俺結構酒強いって言われんだよね、自分ではそうは思わないけどwテキーラ10杯でちょっと酔ってきたかな〜くらいw」

 

 

 

 

 

「まぁ〜高校時代はちょっと遊びすぎてやんちゃだったなw今は落ち着いたw」

 

 

 

 

 

「河合模試の英語の偏差値とか70割ったこと無いんだよねw」

 

 

 

 

 

「秋まで全く勉強してなかったw」

 

 

 

 

 

全部本当の発言そのままです。僕はマジで苦笑するしかありませんでした。ここまで分かりやすい自慢かます奴いるのかって逆に不安になっちまった。

 

 

 

 

そして僕が何よりしんどかったのが、そんなユキヒコの自慢を汲もうとしてか女子二人が「え〜すご〜い」などとユキヒコを褒めていたことです。本心で褒めていたのか、そうでないのか僕には分かりませんし今更興味も無いですがとにかくその状況は辛かった。

 

 

 

溺れて呼吸がしづらい時と似たような感覚でした。早く俺を水から上げてくれ...と祈らんばかり。

 

 

 

 

そして僕が一番「キツいな」と感じた言葉は

 

 

 

 

 

「俺本当はこの学部来るつもり無かったんだよね。◯◯学部行くつもりだったし。」

 

 

 

 

 

僕が大学で所属している学部はいわゆる下位学部というものにあたり、まぁネットなり何なりでボッコボコに煽られる立場なのですが、まさか現実にもこんなことを言うやつがいるとは思いませんでした。学歴コンプレックスならぬ学部コンプレックス。僕はこの学部に行きたかったのでそういうものはなく気持ちは分かりませんが、入学してもう二ヶ月経ってるぞ。そこらへんで黙って聞いてるのもアホらしくなったので、少々場の雰囲気を悪くしても構わない姿勢で

 

 

 

「受験終わってもうずいぶん経つのにまだそんなこと言ってんの?」

 

 

 

とその時の僕の率直な感想をぶつけてみたところ、彼はやめるどころか

 

 

 

「まぁ、俺ポテンシャルあったからさwもったいないって思うんよね」

 

 

と謎の自慢で返してきました。さすがにこれはどうしようもねぇ。普段学食で男だけで話す時は普通に面白いやつなのに、心にこんなバケモノ飼ってたのかこいつは.....

 

 

 

 

 


 

 

 

 

タイトルにも書きましたが、過去の自慢をした瞬間に、その人間の時間は止まります。このユキヒコに限らず、僕の知り合いの中には中学高校時代女子にモテてただとか、英検1級に小さい頃に受かっただとか、模試の数学で8割切ったことがないだとか、そんな自慢をするやつがいます。

 

 

 

 

別に「後ろを振り返らないことが美しいんだ!」とか主張するつもりはありません。

 

 

 

僕自身、前を見て、時々後ろを見たりしながら初めてプレイするこの人生というゲームをどう攻略していくかを考えるのが良いと思っています。

 

 

 

 

でも、過去の栄光を惜しげもなく他者に自慢することはさすがにイケてないと思います。上に書いた「前を見て、時々後ろを見たり」というのはあくまで内向的な営みに必要なことであり、他人にベラベラ話すようなことではありません。

 

 

 

 

過去の自慢をしたその瞬間、「私は現在進行形で誇れるものを持っておりません。私は過去から成長していません」と宣言したようなものです。時間、ストーーーップ!!

 

 

 

人は少なくとも過去に成し遂げたことを自慢するために生まれてきたわけではありません。

 

 

 

明日、今日よりもほんの少しだけ成長するために生きていくものだと思います。

 

 

 

前へ前へと進んでいくことに力を注いでいる人間は、くだらない自慢話などしない。

 

 

 

そんな人間に、なりたいもんです。

 

 

 

それでは。大瀬戸でした。

 

 

 

 

 

 

 



「帰ってきたヒトラー」を観て、自分の心のあり方を考えた

僕は大学が決まった一週間後にはAmazon Prime Studentに登録した。つまりまだ大学に入学もしていない春休みのこと。

 

 

 

普通であれば入学してから交付される学生証の写真をAmazonに送ったり、学生専用メールアドレスからAmazonにメールを送ったりして自身が学生であることの証明をするのだが、僕はその時何故かとにかくPrime Studentに登録したくてしょうがなかったのでダメ元で大学の合格通知を送りつけた。二日後、申請が通ったとのメールが届いた。

 

 

後になって知ったのだが、Prime Studentには大学の合格通知でも登録が可能とのこと。なかなかに面白い偶然を引き当てたものだ。

 

 

 

 

 

そして登録したはいいものの、そこからの一ヶ月僕は全くプライム特典を活用できていなかった。せいぜい物を買う時の配送サービスで恩恵を受ける程度。

 

 

 

さすがにもったいないと思い僕は通学時に電車の中で映画を観ることにした。そして観た映画に関してはこちらのブログで感想や考えたことを共有していくことにしました。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

さて、1回目の映画カテゴリでの記事、僕が観たのは「帰ってきたヒトラー」という映画。なんでも現代にタイムスリップしてしまったヒトラーがモノマネ芸人として大ブレイクするというもの。

 

 

 

 

帰ってきたヒトラー

元ネタはティムール・ヴェルメシュという作家が2012年に発表した風刺小説「帰ってきたヒトラー上/下」という本。ドイツではこの本に関して賛否両論あり、かなり物議を醸したとのことだが、今回はそちらの話題には触れず映画の大筋や僕が特に気に入ったシーンについて書いていく。

 

 

 

 

冒頭でも書いた通り、物語はかの有名なアドルフ・ヒトラー本人がタイムスリップして2014年のドイツに降り立つところから始まる。

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すっかり姿を変えた街に困惑しながらも情報を集めようと歩き回るヒトラー。路傍の売店にて新聞を確認し、「2014」の文字を見た瞬間に気を失う。

 

 

 

 

そこから彼は追い出されたテレビ局に戻るべく特ダネを探している気弱な男、サヴァツキに声をかけられ、ドキュメントリー映像の作成のため各地を回り市民に政治についての意見を聞いていく。

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国民が今の政治に不満を持っていることがこのインタビューで明らかになる。ところで、なぜ二枚目の写真の人物にモザイクがかかっているのかお分かりだろうか。

 

 

 

そう、これは映画撮影であることを隠して実際の市民、一般人にインタビューをしているのだ

 

 

 

 

そんなこんなでドキュメンタリー映像を作り上げたサヴァツキはそれをYoutubeにアップ。「現代にヒトラーが帰ってきた!」と話題になり動画の再生回数は300万回を突破。サヴァツキはヒトラーを連れ元いたテレビ局へ向かい直談判を試みる。

 

 

そこでヒトラーは局の役員の会議室に勝手に入り役員に対して演説を始める。役員たちは誰一人彼が本物のヒトラーだとは思っていないため「うまいモノマネだ」と言わんばかりの笑いを吐く。そこで1人がヒトラーに対し

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と質問をする。当然ヒトラーは本物なのでモノマネの練習もクソもない。それに対してヒトラーはこう言葉を発する。

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「確固たる世界観で常に正しい結論が出せる」

 

 

 

このシーンは誰もがヒトラーを本物と信じていない中ヒトラーは真面目に話をするという、一種笑いにベクトルを持つシーンなのだが、僕はこのセリフに考えさせられた。

 

 

 

確固たる世界観。僕はまだ持っていない。

 

 

 

おそらく、大人でも持っている人は少ないだろう。こんな風に生きるだとか、こんな人みたいに決断をするだとか、一つ自分に軸が通っていればそれに沿って考えを組むことでいつでも正しい(少なくとも自分にとって)結論をはじき出すことができる。

 

 

 

 

大人数での議論においてはこの限りではないが、1人で行う決断、自分の決断がそのまま反映される場面においてはこのヒトラーの考えを常に持つことが大事だと僕は考える。

 

 

 

 

そしてその世界観というものを作り上げるには外部から情報を取り入れて、それを自分なりの方法で噛み砕き、外に向けて発信することが大事だと思う。僕がブログをやっている理由にはこれがある。

 

 

 

 

僕は今18歳だ。多分若い。若すぎて、まだ視野が狭い。ただのガキ。

 

 

 

だからそんな状況を「年月の経過に依存した受動的で強制的な視野の拡大」によってではなく「自らの行動の結果、視野を広げる」ことによって改善していきたい。僕はこのシーンを観てそんなことを考えた。

 

 

 

 

 

その後、ヒトラーはさらに民衆を魅了し、映画の作成にまで手をかけるが..........

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

この先はみなさんの目で見ていただきたい。

 

 

ちなみに、この作品にはかの有名な「ヒトラー 〜最期の12日間〜」という映画のパロディがある。ヒトラーが激怒しているシーンの空耳で「おっぱいぷるんぷる〜ん!!!!!!!!!」と聞こえる部分があるあれだ。知っている方も多いだろう。

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その他にも、笑えるシーンが多数あるこの映画。

ただ、このヒトラーという人物が現世に現れて人々を魅了し、やがて過激な軍事政権を打ち出すことになったら......?

 

 

 

 

そんな危険性、ifではあるものの背筋に冷たいものを感じさせる、考えさせられる作品でもある。

 

 

 

 

ぜひ観てください。それでは。大瀬戸でした。

 

 

 

 

 

 

学びに楽しさを見出すことは最強であるということ

 

こんにちは。ついこの前大学入ったばっかだと思ってたらもう5月。

5月になると色んな生き物が姿を消します。ツイッターで新歓期に新入生にやたらリプ飛ばす上級生、顔も知らねぇのにやたらめったら同級生と繋がりたがる奴(だいたい男)、新歓の席で酒強い自慢する1男(絶対にセットで「地元荒れてたんすよね俺。笑」が入る)。そんなことはどうでもいいとして、今回の記事。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

よく、効率的な学びには楽しさが不可欠だ!と言われますが、本当に心の底から賛成です。というのも、僕は高校生の時にその姿勢で勉強して成績を爆上げさせた友達を見ていたのでなおのことそう感じるのです。

 

 

 

僕は高校3年生の時にヤマノという男と同じクラスになりました。僕のいたクラスは国立理系クラスで、選択科目として数学Ⅲに物理化学をやる、いわゆるガチ理系クラスでした。

 

 

 

そしてこのヤマノ、とにかく物理が大好き。本当に大好き。物理の授業中は誰よりも目を輝かせながら黒板と先生を見つめていたし、定期テストは誰よりも高い点数を取ってクラスの皆を驚かせていました。

 

 

 

 

そんな彼の話で一番僕の心に残っているのは、2018年夏、来る大学受験に向けて高校内の誰も彼もが勉強に励んでいたときのことでした。

 

 

 

 

僕の高校では夏休みに特別講習があり学校の先生が授業をしてくれる時間があるのですが、僕はいつもその講習の前に勉強でもしようかと思いかなり早めに学校の教室に行きます。いつもヤマノは先にいる。黒板に物理の問題文と解法を殴り書きしながら。

 

 

 

 

そして彼はこう言います。「あ、おはよう!遊んじゃってたわ!」と。

 

 

 

 

彼は本当に物理が好きなのだ。それも「勉強」という箱の中での「好き」ではない。日常生活という箱の中で好きなのだ。すなわち、彼にとっての高校物理とは立ち位置が完全にパズドラと一致しているということ(彼はパズドラが好きだった)。

 

 

 

 

彼は理系科目が大好きな反面英語がかなり苦手でしたが、本番は理系科目で難関大学にしてはありえないほどの点数をとってゴリ押しし、某旧帝大の理学部に現役合格しました。

 

 

 

 

冒頭でも示しましたが、よい学びには楽しさが不可欠です。楽しさは全てをポジティブな方向に向けてくれます。そして、その楽しさというのはある程度の努力をしないと現れないというのもまた事実だと思います。ヤマノですら、最初は物理はそこまで好きじゃなかったといいます。じゃあなんで今こんな大好きなの?と聞くと

 

 

 

 

「とにかくある程度物理のことを知らないと何も見えてこないと思って真面目に勉強したら、急にできるようになった。そこからは本当に楽しくなった。」

 

 

 

 

と答えていました。

 

 

 

 

 

そう、最初から何の努力もせずに物事が楽しくなるというのは無茶な話なのです

 

 

 

 

努力せずにこなせる物事というのは、それに必要な能力値を自分が持ってしまっているということ

 

 

答えを知ってるなぞなぞを延々と出されて楽しいですか?

 

 

 

自分のレベルよりちょっと上にある、知らないけど考えれば分かりそうななぞなぞが一番楽しいですよね。そういうことです。

 

 

 

その少し難しいなぞなぞを自力で解いた時、なんともいえない快感を得ることができる。そしてその快感がモチベーションとなり、次の問題へ向かう。学習においても同じことが言えると僕は思います。

 

 

 

 

 

僕は今プログラミング学習をしているのですが、ある程度の基礎を固め終わりそうな今、学習が少し楽しくなり始めました。それまでも与えられたタスクをこなしコードを書いて実行すると正しく動作し、「動いた!!!」という気持ちがあると楽しかったのですが、今は楽しさの方向が違います。

 

 

「これをもっとやればあんなものも作れるのか!!!!頑張ろ!!!!」といった感じです。もちろん楽しさのベクトルはやるもののジャンル、性質によって違いますが、一つ努力を超えると体が浮くような楽しさが湧き上がります。まるで子どもの頃のクリスマス前夜のベッドの中のような心。

 

 

 

僕は「何事も楽しんでやりましょう」などと言う気はありません。「気になったらある程度やってみて、楽しさが見えたら全力でぶつかっていこうぜ!」って感じです。人には合う合わないがあります。そこを見落としてはもったいない。

 

 

 

 

こんなことを言っている僕だってまだまだ未熟だし、何も成し遂げていません。

 

 

 

プログラミングとギターとスケボーにハマってからブログの更新が全然できていませんでしたが僕は今日からまた頑張ります。

 

 

 

みなさんも、一緒に頑張りませんか。

 

 

 

 

 

それでは。大瀬戸でした。