俺多分ドラマの主人公

大瀬戸バカ日記

大学1年生大瀬戸。日々、書く。色々。よろしく。

自分の過去を自慢した瞬間、時間は止まる

こんにちは。

 

 

 

あなたの周りにやたら「自慢」をする奴、いますか。

 

 

 

僕の周りにはいます。というか、大学入って増えました。そしてその自慢についての考えを書いていく前にここでお話するのは、先週僕が大学のクラスの友達数人と出かけた時の話です。

 

 

 

 

 

 

僕のクラスは比較的男女の仲が良く、必修の授業などでもワイワイ喋って盛り上がっています。そんな中、僕の友達のユキヒコに誘われ、仲の良い男女4人で出かけることになりました。ユキヒコとは入学後すぐから割と仲が良く、話しやすいのでその集まりはまぁ楽しみにしていました。

 

 

 

そして当日。その4人で渋谷をうろついたり、クレープを食べたり、必修の授業の先生のモノマネをしたり。まぁ一般的な大学1年生の春、といったことをしていました。

しかし、ユキヒコ。男子だけで喋っている時は普通に面白いやつだったのに、女子と一緒にいるとありえない頻度で自分の自慢話をする

 

 

 

 

「クラブとか中学生の時に行き過ぎて飽きたんだよねw先輩に偽造のID作ってもらって入ってさw」

 

 

 

「俺結構酒強いって言われんだよね、自分ではそうは思わないけどwテキーラ10杯でちょっと酔ってきたかな〜くらいw」

 

 

 

「まぁ〜高校時代はちょっと遊びすぎてやんちゃだったなw今は落ち着いたw」

 

 

 

「河合模試の英語の偏差値とか70割ったこと無いんだよねw」

 

 

 

「秋まで全く勉強してなかったw」

 

 

 

 

全部本当の発言そのままです。僕はマジで苦笑するしかありませんでした。ここまで分かりやすい自慢かます奴いるのかと逆に不安に。

 

 

そして僕が何よりしんどかったのが、そんなユキヒコの自慢を汲もうとしてか女子二人が「え〜すご〜い」などとユキヒコを褒めていたことです。本心で褒めていたのか、そうでないのか僕には分かりませんし今更興味も無いですがとにかくその状況は辛かった。溺れて呼吸がしづらい時と似たような感覚でした。早く俺を水から上げてくれ...と祈らんばかり。

 

 

そして僕が一番「キツいな」と感じた言葉は

 

 

 

「俺本当はこの学部来るつもり無かったんだよね。◯◯学部行くつもりだったし。」

 

 

 

僕が大学で所属している学部はいわゆる下位学部というものにあたり、まぁネットなり何なりで煽られる立場なのですが、まさか現実にもこんなことを言うやつがいるとは思いませんでした。学歴コンプレックスならぬ学部コンプレックス。僕はこの学部に行きたかったのでそういうものはなく気持ちは分かりませんが、入学してもう二ヶ月経ってるぞ。そこらへんで黙って聞いてるのもアホらしくなったので、少々場の雰囲気を悪くしても構わない姿勢で

 

「受験終わってもうずいぶん経つのにまだそんなこと言ってんの?」

 

とその時の僕の率直な感想をぶつけてみたところ、彼はやめるどころか

 

「まぁ、俺ポテンシャルあったからさwもったいないって思うんよね」

と謎の自慢で返してきました。さすがにこれはどうしようもねぇ。普段学食で男だけで話す時は普通に面白いやつなのに、心にこんなバケモノ飼ってたのかこいつは.....

 

 

 

☆    ★    ☆

 

 

タイトルにも書きましたが、過去の自慢をした瞬間に、その人間の時間は止まります。このユキヒコに限らず、僕の知り合いの中には中学高校時代女子にモテてただとか、英検1級に小さい頃に受かっただとか、模試の数学で8割切ったことがないだとか、そんな自慢をするやつがいます。

 

 

別に「後ろを振り返らないことが美しいんだ!」とか主張するつもりはありません。

 

僕自身、前を見て、時々後ろを見たりしながら初めてプレイするこの「人生」というゲームをどう攻略していくかを考えるのが良いと思っています。

 

 

でも、過去の栄光を惜しげもなく他者に自慢することはさすがにイケてないと思います。上に書いた「前を見て、時々後ろを見たり」というのはあくまで内向的な営みに必要なことであり、他人にベラベラ話すようなことではありません。

 

 

過去の自慢をしたその瞬間、「私は現在進行形で誇れるものを持っておりません。私は過去から成長していません」と宣言したようなものです。時間、ストーーーップ!!

 

 

人は少なくとも過去に成し遂げたことを自慢するために生まれてきたわけではありません。

 

 

 

明日、今日よりもほんの少しだけ成長するために生きていくものだと思います。

 

 

 

前へ前へと進んでいくことに力を注いでいる人間は、くだらない自慢話などしない。

 

 

 

そんな人間に、なりたいもんです。

 

 

 

それでは。



「帰ってきたヒトラー」を観て、自分の心のあり方を考えた

僕は大学が決まった一週間後にはAmazon Prime Studentに登録した。つまりまだ大学に入学もしていない春休みのこと。

 

普通であれば入学してから交付される学生証の写真をAmazonに送ったり、学生専用メールアドレスからAmazonにメールを送ったりして自身が学生であることの証明をするのだが、僕はその時何故かとにかくPrime Studentに登録したくてしょうがなかったのでダメ元で大学の合格通知を送りつけた。二日後、申請が通ったとのメールが届いた。

後になって知ったのだが、Prime Studentには大学の合格通知でも登録が可能とのこと。なかなかに面白い偶然を引き当てたものだ。

 

 

そして登録したはいいものの、そこからの一ヶ月僕は全くプライム特典を活用できていなかった。せいぜい物を買う時の配送サービスで恩恵を受ける程度。

さすがにもったいないと思い僕は通学時に電車の中で映画を観ることにした。そして観た映画に関してはこちらのブログで感想や考えたことを共有していくことにしました。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

さて、1回目の映画カテゴリでの記事、僕が観たのは「帰ってきたヒトラー」という映画。なんでも現代にタイムスリップしてしまったヒトラーがモノマネ芸人として大ブレイクするというもの。

元ネタはティムール・ヴェルメシュという作家が2012年に発表した風刺小説「帰ってきたヒトラー上/下」という本。ドイツではこの本に関して賛否両論あり、かなり物議を醸したとのことだが、今回はそちらの話題には触れず映画の大筋や僕が特に気に入ったシーンについて書いていく。

 

 

 

冒頭でも書いた通り、物語はかの有名なアドルフ・ヒトラー本人がタイムスリップして2014年のドイツに降り立つところから始まる。

f:id:climax_in_a_drama:20190530120228p:plain

 

すっかり姿を変えた街に困惑しながらも情報を集めようと歩き回るヒトラー。路傍の売店にて新聞を確認し、「2014」の文字を見た瞬間に気を失う。

 

 

そこから彼は追い出されたテレビ局に戻るべく特ダネを探している気弱な男、サヴァツキに声をかけられ、ドキュメントリー映像の作成のため各地を回り市民に政治についての意見を聞いていく。

f:id:climax_in_a_drama:20190530121909p:plain

 

f:id:climax_in_a_drama:20190530121935p:plain

 

 

国民が今の政治に不満を持っていることがこのインタビューで明らかになる。ところで、なぜ二枚目の写真の人物にモザイクがかかっているのかお分かりだろうか。

そう、これは映画撮影であることを隠して実際の市民、一般人にインタビューをしているのだ

 

 

 

そんなこんなでドキュメンタリー映像を作り上げたサヴァツキはそれをYoutubeにアップ。「現代にヒトラーが帰ってきた!」と話題になり動画の再生回数は300万回を突破。サヴァツキはヒトラーを連れ元いたテレビ局へ向かい直談判を試みる。

 

 

そこでヒトラーは局の役員の会議室に勝手に入り役員に対して演説を始める。役員たちは誰一人彼が本物のヒトラーだとは思っていないため「うまいモノマネだ」と言わんばかりの笑いを吐く。そこで1人がヒトラーに対し

f:id:climax_in_a_drama:20190530120219p:plain

と質問をする。当然ヒトラーは本物なのでモノマネの練習もクソもない。それに対してヒトラーはこう言葉を発する。

f:id:climax_in_a_drama:20190530120145p:plain

f:id:climax_in_a_drama:20190530120225p:plain

 

 

「確固たる世界観で常に正しい結論が出せる」

 

 

このシーンは誰もがヒトラーを本物と信じていない中ヒトラーは真面目に話をするという、一種笑いにベクトルを持つシーンなのだが、僕はこのセリフに考えさせられた。

 

確固たる世界観。僕は持っていない。

 

 

おそらく、大人でも持っている人は少ないだろう。こんな風に生きるだとか、こんな人みたいに決断をするだとか、一つ自分に軸が通っていればそれに沿って考えを組むことでいつでも正しい(少なくとも自分にとって)結論をはじき出すことができる。

 

 

大人数での議論においてはこの限りではないが、1人で行う決断、自分の決断がそのまま反映される場面においてはこのヒトラーの考えを常に持つことが大事だと僕は考える。

 

 

そしてその世界観というものを作り上げるには外部から情報を取り入れて、それを自分なりの方法で噛み砕き、外に向けて発信することが大事だと思う。僕がブログをやっている理由にはこれがある。

 

 

僕は今18歳だ。多分若い。若すぎて、まだ視野が狭い。ただのガキ。

だからそんな状況を「年月の経過に依存した強制的な視野の拡大」によってではなく「自らの行動の結果、視野を広げる」ことによって改善していきたい。僕はこのシーンを観てそんなことを考えた。

 

 

 

その後、ヒトラーはさらに民衆を魅了し、映画の作成にまで手をかけるが..........

 

 

 

 

 

☆    ★    ☆

 

 

 

この先はみなさんの目で見ていただきたい。

ちなみに、この作品にはかの有名な「ヒトラー 〜最期の12日間〜」という映画のパロディがある。ヒトラーが激怒しているシーンの空耳で「おっぱいぷるんぷる〜ん!!!!!!!!!」と聞こえる部分があるあれだ。知っている方も多いだろう。

f:id:climax_in_a_drama:20190530120217p:plain

f:id:climax_in_a_drama:20190530120207j:plain

 

 

 

その他にも、笑えるシーンが多数あるこの映画。

ただ、このヒトラーという人物が現世に現れて人々を魅了し、やがて過激な軍事政権を打ち出すことになったら......?

そんな危険性、ifではあるものの背筋に冷たいものを感じさせる、考えさせられる作品でもある。

 

 

 

 

ぜひ観てください。それでは。

 

 

 

 

 

 

学びに楽しさを見出すことは最強であるということ

 

こんにちは。ついこの前大学入ったばっかだと思ってたらもう5月。

5月になると色んな生き物が姿を消します。ツイッターで新歓期に新入生にやたらリプ飛ばす上級生、顔も知らねぇのにやたらめったら同級生と繋がりたがる奴(だいたい男)、新歓の席で酒強い自慢する1男(絶対にセットで「地元荒れてたんすよね俺。笑」が入る)。そんなことはどうでもいいとして、今回の記事。

 

 

☆    ★    ☆

 

 

 

よく、効率的な学びには楽しさが不可欠だ!と言われますが、本当に心の底から賛成です。というのも、僕は高校生の時にその姿勢で勉強して成績を爆上げさせた友達を見ていたのでなおのことそう感じるのです。

 

 

僕は高校3年生の時にヤマノという男と同じクラスになりました。僕のいたクラスは国立理系クラスで、選択科目として数学Ⅲに物理化学をやる、いわゆるガチ理系クラスでした。

 

 

そしてこのヤマノ、とにかく物理が大好き。本当に大好き。物理の授業中は誰よりも目を輝かせながら黒板と先生を見つめていたし、定期テストは誰よりも高い点数を取ってクラスの皆を驚かせていました。

 

 

 

そんな彼の話で一番僕の心に残っているのは、2018年夏、来る大学受験に向けて高校内の誰も彼もが勉強に励んでいたときのことでした。

 

 

 

僕の高校では夏休みに特別講習があり学校の先生が授業をしてくれる時間があるのですが、僕はいつもその講習の前に勉強でもしようかと思いかなり早めに学校の教室に行きます。いつもヤマノは先にいる。黒板に物理の問題文と解法を殴り書きしながら。

 

 

 

そして彼はこう言います。「あ、おはよう!遊んじゃってたわ!」と。

 

 

 

彼は本当に物理が好きなのだ。それも「勉強」という箱の中での「好き」ではない。日常生活という箱の中で好きなのだ。すなわち、彼にとっての高校物理とは立ち位置が完全にパズドラと一致しているということ(彼はパズドラが好きだった)。

 

 

 

彼は理系科目が大好きな反面英語がかなり苦手でしたが、本番は理系科目で難関大学にしてはありえないほどの点数をとってゴリ押しし、某旧帝大の理学部に現役合格しました。

 

 

 

 

冒頭でも示しましたが、よい学びには楽しさが不可欠です。楽しさは全てをポジティブな方向に向けてくれます。そして、その楽しさというのはある程度の努力をしないと現れないというのもまた事実だと思います。ヤマノですら、最初は物理はそこまで好きじゃなかったといいます。じゃあなんで今こんな大好きなの?と聞くと

 

 

「とにかくある程度物理のことを知らないと何も見えてこないと思って真面目に勉強したら、急にできるようになった。そこからは本当に楽しくなった。」

 

 

と答えていました。

 

そう、最初から何の努力もせずに物事が楽しくなるというのは無茶な話なのです

努力せずにこなせる物事というのは、それに必要な能力値を自分が持ってしまっているということ。答えを知ってるなぞなぞを延々と出されて楽しいですか?自分のレベルよりちょっと上にある、知らないけど考えれば分かりそうななぞなぞが一番楽しいですよね。そういうことです。

 

その少し難しいなぞなぞを自力で解いた時、なんともいえない快感を得ることができる。そしてその快感がモチベーションとなり、次の問題へ向かう。学習においても同じことが言えると僕は思います。

 

 

 

僕は今プログラミング学習をしているのですが、ある程度の基礎を固め終わりそうな今、学習が少し楽しくなり始めました。それまでも与えられたタスクをこなしコードを書いて実行すると正しく動作し、「動いた!!!」という気持ちがあると楽しかったのですが、今は楽しさの方向が違います。

 

 

「これをもっとやればあんなものも作れるのか!!!!頑張ろ!!!!」といった感じです。もちろん楽しさのベクトルはやるもののジャンル、性質によって違いますが、一つ努力を超えると体が浮くような楽しさが湧き上がります。まるで子どもの頃のクリスマス前夜のベッドの中のような心。

 

 

 

僕は「何事も楽しんでやりましょう」などと言う気はありません。「気になったらある程度やってみて、楽しさが見えたら全力でぶつかっていこうぜ!」って感じです。人には合う合わないがあります。そこを見落としてはもったいない。

 

 

こんなことを言っている僕だってまだまだ未熟だし、何も成し遂げていません。

プログラミングとギターとスケボーにハマってからブログの更新が全然できていませんでしたが僕は今日からまた頑張ります。

 

みなさんも、一緒に頑張りませんか。

 

 

 

 

それでは。

食べ残しはするな。絶対だ。

 


僕は大学に入学したこの4月から、とある飲食店のキッチンで調理業務を主とするアルバイトをしている。

 

トマトを切ったり、めちゃめちゃデカい肉を切ったり、まかないとして回鍋肉を作らせてもらったり、パスタの盛り付けを手伝ったり、皿洗いをしたり、やることは沢山ある。

 

 

そんな中、この前の金曜日のこと。僕がいつものようにシフトに入り、パスタの盛り付けに使うトマトを無心で切り、包丁を片付けている時にキッチンの外から「今日は結婚式の二次会」という社員さんの声が聞こえた。なるほど、それはめでたいな。なんてことを考えながら今日のバイトは少し大変だなとも思った。

 

 

 

 

ほどなくして店には沢山の人が入店し、場の雰囲気はみるみるうちに高まっていった。しかし厚い壁一枚で隔たれたキッチンにそんな陽気な雰囲気を感じさせる要素は一つたりとも無く、キッチンにいる者全員が全力でパーティー用の料理の準備のために動き続けていた。持った瞬間に落とさないか不安になるくらいの重さのパスタ、畑一つをお皿に入れたのかというほど大きいサラダ、広辞苑何冊分もの肉。とにかく大量で最高に美味しい料理達が作られるそばからホールへと運ばれていった。

 

 

 

 

大変だったが、結婚式の二次会だ。人生に一度あるかないかくらいの晴れ舞台の二次会。バイト風情が業務にのめり込むのはおかしいのかもしれないが、今日は特に辛くとも頑張ってやろうという気になれた。

 

 

 

新郎新婦も入場し、パーティーは本格的に始まった。友人たちと思しき人の出し物やビンゴ大会も始まり、場は幸せな空気で包まれていたように見えた。パーティーの場合、最初に料理を出してしまえばあとは食べ終わりのお皿が運ばれてくるのを待ち、それらを洗うだけ。ただその量が半端ではなく、素早く正確に作業をしないと次々とやってくるお皿に負けてしまうので僕は少し身構えていた。

 

 

 

 

パーティも終わりに近づき、新郎新婦の友人たちが店を出ていく。そしてお皿が運ばれてくるのだが、僕はそれを見て絶句した。

 

 

 

ほとんど食べ残されていたのだ。

 

 

 

僕は目の前のその事実に思わず「は?」と言ってしまった。すると僕の声を聞いていた社員さんが「もったいないよね、こういうの...」と少し悲しげに言った。

 

 

 

彼は紛れもなく今日の料理を作った人物だ。彼が大汗をかき、熱い厨房で重いフライパンを振り心を込めて作ったパスタが、ローストビーフが、サラダが、ミートボールが、誰の口に運ばれることもなく戻ってきた。

 

 

 

冷えたそれらをゴミ箱に入れる彼の顔は、仕事だからと割り切っているようで悲しそうだった。僕はその顔を見ているとなんだかやるせなくなって、悲しくなって、空虚な怒りが湧いた。今にでもホールに飛び込んで「残してんじゃねぇよクソが!!!」と怒鳴り散らしに行きたかったが、店の迷惑になるようなことはできない。

 

 

 

沢山の命と、それを調理する人間の心がこもった素敵な料理が、ポリプロピレンでできた無機質な箱に身投げしていく光景を見て僕は本当に嫌な気分になった。大人は結婚式の二次会だし、みんなお酒飲んでるし、ゲームもあったし、しょうがないなんて思うのだろうか。だとしたらそんな大人と社会はクソだ

 

 

 

ここで廃棄食品のフードロス問題について深く述べるつもりは無い。世の中の人間はそんなデータを見せられたところで自分の生活を見直すことなんてしないからだ。現状のデータと問題点を示した資料で人の心が簡単に変わるのならばこの社会はとうの昔に天国になっている。僕が言いたいのはとにかく食べ残しは絶対にするな。ということだ。ここに関してごちゃごちゃと理屈を述べて行くつもりは無い。食べ残しは絶対にしてはならない。

 

 

 

つい最近こんなツイートがバズったが、まさにその通りだ。

 食堂のおばちゃんは正しい。なんならガチで憲法で規定して欲しいくらいだ。

 

 

 

そもそもあの場にいた大人は何を考えていたんだ。食べ物を残しちゃダメなことも分からないのか。俺がおかしいのか。分からなくなってくる.....

 

 

 

 今回あの大量の食べ残しをたまたま僕が見ただけだが、当然実際他の店舗、他の市、他の都道府県ではもっとたくさんの廃棄食品が出ていることだと思う。それら全てを救うのは不可能だし、今の僕はそれを救えると考えるのは傲慢な思い上がりだと考えている。

 

 

 

でも、目の前の食べ物はどうか。救えるか。

 

 

 

 

救えるに決まっている。食べろ。綺麗に食べろ。

 

 

 

 

手垢にまみれた言い回しだが、身近なところからの働きかけの積み重ねが大事だ。

 

 

 

 

そしてそれはいずれ社会をほんの少しだけ変える。ほんの少しで良い。

 

 

 

途中言葉が荒くなってしまったのでもう一度丁寧に言う。

 

 

 

出された食べ物は、残さず綺麗に食べましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは。

自分に酔うことはマジのマジで大事だと思う

自分に酔う、というとなんだか嫌な印象を持つと思います。

 

 

ラーメンつけ麺僕イケメン、なんてまさにそれ。あれはネタと分かっているから笑いの余地がありますが、実生活であんなこと本気で言うやつがいればドン引きです。

 

 

日本人は特に謙虚なことで広く知られています。この人間性には、日本が古来から食べ物や水に困らず、安定した作物の収穫が可能な土地に加え、平和を美とする社会体制、他民族からの襲撃の無さなどが影響しているとのこと。古くから争いが絶えない地域であれば、それこそ謙虚さは命取りになります。

「和をもって尊しとなす」の姿勢こそ、僕達日本人の謙虚さに繋がっているのです。

 

 

ですが、そんな姿勢を美徳として叩き込まれた僕らは時として謙虚と自己肯定感の低さを履き違えてしまいます。

出る杭は打たれる」という僕の大嫌いなことわざがあるのですが、このことわざの杭のように打たれぬように、高い自己肯定感や能力を持ちながらも謙虚に謙虚に生きていくうちに内面で心がしぼんでいってしまった人を僕は今まで何人も見ました。

 

 

謙虚、謙虚、謙虚。僕は小さい頃からサッカーや陸上をやっていたこともあり、コーチからこの大事さをイヤというほど聞かされました。「上手いやつほど腰が低い」「速い選手は決して傲慢にはならないんだぞ」など、数え切れないほど。当時の僕はなるほどなるほどとその美徳を飲み込んでいましたが、高校生になってから飲み込んだ美徳が喉元にせり上がってくるのを感じていました。

 

 

確かに他人に対して謙虚でいるのは大事。やたらめったら自慢なりマウンティングなりをかましまくるやつはたとえ能力が高くても一緒にはいたくない。

でも、自分に対しては?自分にまで謙虚になったら疲れないか?

「謙虚」という美徳にとらわれるあまり、自分さえも自分に頭を下げさせてしまうことがあるのが謙虚の気疲れの原因だと考えました。内面でまでも慎ましく生きてしまっている人が多いんじゃないか、ということ。そして、多分これは間違っていません。

 

 

 

それではもったいない。なので、僕が皆さんにオススメする思考として「自分に酔う」というものを紹介します。

 

 

狩野英孝じゃねぇか。ドン引きされるって言ってただろ。と思うかもしれませんが、ただ自分に酔うだけではありません。外には出さずに中で酔うのです。俺は凄い奴だ、私は誰よりも素敵な女だ、僕は最高だ.....など。言葉に出して他人にアピールするのではありません。内面で叫び続けて自分にアピールするのです。バカバカしいことに思えますがこれやってると自己肯定感が爆上げします。

 

 

そして少々逆説的ですが、内面で自分に酔っていると他人からのアドバイスや意見に耳を傾けやすくなります。それは自己肯定感が高まっていることによって、多少自分と違う意見をぶち込まれても受け止める余裕ができるということ。自己肯定感が低い、つまり度の過ぎた謙虚な人はアドバイスに対して「あぁー俺ダメなんだなやっぱ...」と勝手に萎えてしまう。今の日本は「批判を悪とし、批判を受けることを避けたい」人間が多いらしいですが、根っこの要素の一因にはこれが存在していると考えています。

 

 

加えて、「このアドバイスを吸収したらただでさえデキる俺がもっとデキるやつになれるのか」というとんでもなくめでたい思考が身につく。

 

 

このような圧倒的な自己肯定感の高さというのは、単純に自分の能力を必要以上に高く見積もっており意地悪に言えば現実見れてないバカなのですが、思考が現実を飛び越えないでいるといつまでたっても現実はそのまま、自分はこのままです。まぁそれに、そういう思考のほうが生きてて楽しいし。

 

 

先日大学生ながら事業をやっている方にお話を聞く機会があったのですが、そこで特に印象的だったのが「自分の見える世界、枠組みから出ようと試みるのが大事」というものです。上にもあるように自己肯定感の高さは自分の能力を買いかぶっているだけのことなのですが、その買いかぶりによって思考が現実を越えていきます。なぜ僕がここまで自信を持っているのかというと、高校3年生の受験期に体験したとある出来事が僕に思考の力の効力を確信させたからなのですが、これはまた別の記事で。

 

 

 

兎にも角にも、「謙虚」は外面だけでオッケーです。なにか褒められた時に言葉では「いえいえそんなことありませんよ〜」とかなんとかテキトーーーーに言っといて心の中では「いや当たり前だろ俺様だぞwwwwwwww」と思いましょう。

 

 

 

それでは、この記事を読んだその日から「内面自己陶酔ハッピーライフ」のスタートとしましょう。僕との約束です。

 

 

 

ではまた次の記事で。