俺多分ドラマの主人公

大瀬戸バカ日記

大学1年生大瀬戸。このブログを読めば日々がちょっとドラマチックになる。

明日の朝着ていく服は今日の夜準備しておこう

 こんにちは、大瀬戸です。

 

 

 

かの有名なスティーブ・ジョブズは、いつも決まって黒のタートルネックにジーパン、足下にはスニーカーを合わせて生活していました。なぜなのかというと、ウィルパワーを節約するため。ウィルパワーとは、簡単に言えば決断を下す時に使う精神力のようなもの。一日の総量には限りがあるので、彼のような大企業のトップに立って日々大きな決断を正確に行わなければいけない人間は「どの服着ていこうかな..」という風に余計な迷いを起こしていてはウィルパワーの無駄遣いになってしまうのです。だからいつも同じ服。

 

 

 

 

僕たちも彼らの真似をして毎日の決断の質を上げていきたいものですが、社会人ならまだしも僕のように私服が当たり前の大学生などはそうにもいきません。

 

 

 

そこでタイトルのように、明日着ていく服は今日の夜準備することで少しでもウィルパワーを節約してみませんか。

 

 

朝着る服を迷わないだけでなく、スムーズに着替えを行えるので家を出るまでの圧倒的な時短に繋がります。本当に気分が良い。ちなみに、朝起きて「今日はいい日だなぁ〜!」とポジティブになると本当にワーキングメモリが増えたり幸福度が増したりするそうです。

 

 

つまり、前日の夜に5分間だけ使って明日の服を選んで置いておくだけで翌日のクオリティが爆上げするということ。こんなにリスク少なくてリターン大きいこと、僕はあと睡眠くらいしか知りません。

 

 

 

さて、これを見て下さった読者の方、今が夜ならすぐに明日の服を準備、今が朝ならもう今から明日の朝着る服を準備しましょう。生活の質が爆上げすることを保証します。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

タイトルの内容を冒頭で書き切ってしまったわけですが、僕の記事がこんな短さで終わるわけがありません。今回はこのウィルパワーを節約するために行う事前準備や工夫を考えられるだけ出してみました。日々の生活に活かせるものがあればぜひ参考にしてみて下さると嬉しいです。

 

 

 

  • 財布をいつも同じポケットにしまっておく

いつも尻ポケットに入れている方もいるとは思いますが、電車移動をする時は改札以外財布を使わない!という人は財布をカバンに放ってそのままにしていることも多いのではないのでしょうか。そして、いざ財布を取り出そうとなったときにはカバンの中でかき混ぜられており取り出しが困難になり、「あれ、どこだったっけ...」とウィルパワーを消費してしまいます。

 

そんな不便を解消するために、財布をカバンにしまう時はいつも同じポケットに入れるようにしましょう。習慣づけるだけで大分スムーズに移動ができてストレスがありません。これは元々アホほど横着な自分が改札を出る時にカバンをゴソゴソするのが惨めなのとシンプルに財布が出てこないのがムカつくということで習慣づけたものです。元々几帳面で管理が上手い人はもっと良い方法を知っているかもしれません。もしあればコメント欄にお願いします.....

 

 

 

 

  • 家のカギやイヤホンなどの小物は同じところに置く

家から帰ってきて「疲れた〜」と開放された気分で過ごしていると、無意識のうちにカギをどこかに置いたままにしてしまうこと、ありませんか?一度でもあるのなら、100均などに売っている小さなカゴを買って自分の部屋に置きましょう。家に帰ってきたら速攻カギ類をそこに入れましょう。翌朝はそのカゴを手に伏せるようにひっくり返すだけで家を出る最後の準備が0.5秒ほどで終わります。「カギどこだっけな」と余計なことにウィルパワーを使わずに、仕事や学校、気になるあの子や彼女、彼氏とのデートに力を回しましょう。

 

 

 

 

  • 家のカギを閉めた後に一本締めをする

何を言ってるんだお前はと思うかもしれませんが、これはかなり使えます。出先、特に旅行などする時に道中で「カギ閉めたっけ??」と悩んだ経験、ありますよね。あれは個人的には本当に精神力ないしはウィルパワーの無駄遣いです。なぜなら悩んだところで答えが出ないから。最近ではスマートデバイスなどでカギを閉めたかどうかを確認することもできるらしいですが、さすがにあれは高いしそこまでするのもめんどくさい。そこで僕が提案するのはこのカギ閉め後の一本締め。なにもこれにこだわらなくても良いのですが、「普段この動作の後に絶対しないだろ」っていう行動は記憶に色濃く残ります。カギを閉めたことを忘れてしまうのは、その動作をあまりにも沢山繰り返したせいで完全に自動化されてしまっているから。そこに、普段ではありえない動作をプラスすると、疑念が頭に登ってきても「いや、今日はさっき一本締めした記憶があるから大丈夫だ」「うん、3回連続ジャンプなんかカギ閉めた後にしかしない」と、簡単に確認して安心することができるのです。

 

 

 

 

とりあえず実行が簡単な3つを挙げました。他にも良いウィルパワー節約行動を知っている!というかた、ぜひコメント覧やはてなブックマークのコメント欄で僕に教えてください。よろしくお願いします!

 

 

大瀬戸でした。

どんな意見でも一度は心のフィルターに受け入れてみることの大切さ

僕の高校に、ヤマダという数学の先生がいた。彼は指導が厳しいタイプであり、特に怒る時の勢いがハンパではないため学校の中でもあまり好かれていなかった。僕もその例外ではなく、彼のことはなんだか苦手に思っていた。

 

 

 

そんな彼だが、僕は彼の言葉に忘れられないものがある。

 

 

 

高校2年生の冬休みに入る少し前の学校集会のこと。僕の高校では委員が一通り連絡事項を伝え終えた後に先生が一言話す時間があるのだが、いつも集会の場では話さないヤマダ先生がマイクを持った。僕はなにをするでもなくいつものようにスマホをいじったり友達と話したりしており話を聞いていなかったのだが、たまたま顔を上げてなんとなく前を見た時、こんな言葉が聞こえてきた。

 

 

 

 

「みなさん、意見は貴重です。まずは受け入れましょう。合わなかったら捨てれば良い。最近では貰った意見に少しでも嫌なところがあると拒絶する人が多いようですが、それではもったいない。」

 

 

 

 

その後の話はよく覚えていない。冬休みの過ごし方のことを話していたかもしれないし、そうではなかったかもしれない。僕はその言葉を心の喉元に留めて飲み込めずにいながら、友人とまた話し始めていた。

 

 

 

 

その日は部活が少し長引き、またこの冬を越すともう受験生だということで予備校で自習をして家に帰るともう11時半。寝るための最低限の作業を無心でこなした時には、長針と短針は重なっていた。明日は朝練だ。急いでベッドに潜り込み、目を閉じる。意識が海にゆっくりと沈んでいくような、いかないような、心地よい波にゆっくりと飲まれながら僕はその日に聞いたヤマダ先生の言葉を意識の水面に見ていた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

意見は一度受け入れてみよう

 

 

こんにちは、大瀬戸です。

 

 

冒頭にもある通り、この記事は僕の高校2年生の時の話と地続きとなっています。なぜだか鮮明に覚えているあの時のふんわりとした感覚に大学1年生となった僕がブログという形で決着を付けてしまおうと思い書いているものです。記憶というものは不思議なもので、適切なタイミングで蘇ってきます。その記憶の浮上が起こったのがおととい、5月7日の夜。

 

 

 

この時期にしてはとても寒い夜だった上に僕は半袖一枚で大学に行っていたため死ぬほど寒い思いをしながら家までの道をとぼとぼと歩いていました。そんな夜、街灯をぼんやりと見ながら歩いていたところに、この記事の冒頭で記したヤマダ先生の話を思い出しました。

 

 

 

 おそらくあの時の寒さが、高校2年生の冬のものと重なり合ったのでしょう。記憶はにおい、色、音楽、寒さ、暑さなど色々な要素をトリガーにして一瞬で蘇ってきます。ちなみにこの記憶についての話は僕にも書きたいものが沢山あるので、あの時と同じ夏になったら記事にします。

 

 

 

さて、本題に戻ります。意見は一度は受け入れようという話。大前提として心無いクソみたいな批判や侮辱をするいわゆる「アンチ」の言葉は意見とはみなしません。あれは鳴き声です。決して僕たちのような高度文明動物が発してはいけないもの。

 

 

 

人間は弱い生き物です。自分の人生を見返して考えてもそう感じます。僕がそんな人間の弱さも美しいと感じてしまうのはさておき、こと意見に関してはできるだけ耳触りの良い言葉を聞いていたいものです。褒められたい、感謝されたい、批判されたくない、称賛してほしい。世の中には「批判をいちいち気にするな」という内容の本、ブログ、動画が無数にあります。僕もその意見には大賛成なのですが、そういう動画を多くの人が参考にしているのはやはり「批判は嫌だ」と考えており、何らかの対処法を考えているから。そんな中、僕は上のように「批判を一度は受け入れる」ことの重要性を記事にしています。

 

 

 

いちいち受け入れてたらキリがねぇだろ、とお思いの方もいるかと思います。しかし、僕が考えるそれはそんな負担を最低限にまで削ぎ落としたものです。それは心のフィルターを作る考え方。文字で説明する前にこちらのイラストをご覧下さい。

 

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心のフィルター

 

 

穴空いてなくね?とかの正確過ぎるツッコミは極力控えてください。実はこれは「机」のイラストをひっくり返してフィルターっぽくしたものです。 手にお持ちのスマホを上下逆さまにすれば机だと分かります。

 

 

 

このイラストが何を表しているのかというのは冒頭のヤマダ先生の話を見返せば一瞬なのですが、僕は曲がりなりにもブログで活動しようと動き始めた人間なので説明させてください。

 

 

 

上の大きなフィルターは、心に大きな大きな影響を与えることはないけれど、その代わりに多様な意見を受け入れる第一フィルター。たとえ嫌いな人からの意見でも、それに筋が通っていれば、まずは受け入れてみる。いらぬ抵抗はしない。

 

 

 

下の小さなフィルターは、心や自分の思考の方向に影響を与える、自分にフィットした意見のみを集めるための第二フィルター。ここにはこだわって吟味をする。

 

 

 

 

誰の意見だとか、そういうものは考えずに。ラッピングは剥がしてものを考えましょう。成功している起業家だから自分に効果があるとは限らないし、普段からいけすかないアイツが自分にドンピシャの意見をこぼしてくれることもある。

 

 

だから、上の図のように口は大きく開けておく。選別はそのあと。母数が多くて困ることは絶対にありません。要らないと思ったら捨てればいいだけ。

 

 

 

 

自分に変わるためのきっかけを与えてくれる最高のアイデアは、案外近くに転がっていることが多いかもしれません。でも、大事なのはそれを貰ったら自分で走り出すことだと僕は思います。

 

 

 

 

それでは。大瀬戸でした。

暇すぎて渋谷駅周辺を歩いてる外国人に話しかけまくった話

こんにちは、大瀬戸です。

 

 

暇、というのは難しいものだと個人的に思っています。

 

 

 

普段あんなに「時間ができたらやりたいことしてぇな〜」と言いながら日々をつまづきながらも懸命に走っている僕などは、いざ時間を与えられるとどうしたものか、前からやりたいと思っていたことには手を付けず、おもむろにPS4のコントローラーを手に取りゲームに没頭して時間を過ごしてしまう。

今考えれば本当にやりたいことには「時間ができたら」といった条件付けなど行われないはずだから、あの時望んでいたアレはやりたいことではなかったのではないか?なんてくだらないもの思いをしてしまいます。

 

 

 

 

とにもかくにも、そんな暇を苦手としている性格の僕が渋谷で時間を持て余している。大学に入って間もない4月の初旬。僕はとあるサークルの新歓に来たのですが、「新入生歓迎会」と銘打たれたイベントに新入生がガチで僕だけという本当に訳の分からない状況に置かれていました。秒で抜けることを決めました。

 

 

 

 

元々新入生は500円というイベントだったので、「母親から早く帰ってこいとラインが来た」という、ちょっと勘のいいチンパンジーであれば疑いをかけるレベルのでまかせを吐いて500円を払った後、僕はハチ公像を眺めながら1人でただ突っ立っていました。7時のこと。母親が怒るっていっても門限早すぎだろ

 

 

 

 

何しよう?そんな考えで僕の心は少しずつ埋まっていきました。

 

 

 

このまま帰るのは何か負けた気がする。きっと家に帰ったって、今日の新歓で肩透かしを食らったことに対する静かな不満を税込み108円のくだらない炭酸飲料で体のどこかへ流し込む作業をひとり自室で行うだけだ。くだらん。

 

 

 

そんなことを思いながら、自分の頭の引き出しを開けたり閉めたりすることを繰り返して2分。僕は引き出しから一つのアイデアを引き出し、バタンとそれを閉める。

 

 

 

 

そうだ。とりあえず外国人に話しかけよう。

 

 

 

一度決めたらもう始める。暇人の勢い舐めんじゃねぇぞ。見えない誰かと競うように僕はハチ公を後にし、薄い木々を抜け、まるで口を開けて待っているかのように明るく眩しい渋谷の街へと繰り出しました。

 

 

 

 

何をしようかなんて特に考えていなかったので、歩きながら考えることに。とにかく外国人に話しかけて、英語で喋って....そうだ、写真でも一緒に撮ってもらうか

 

 

 

 

それから僕は色んな外国人の方に声をかけた。

 

 

 

 

 

最初に話しかけた彫りの深いイケメン二人組は、僕の拙い英語で出身やなぜ渋谷に来たのかを聞くと優しくゆっくりとした英語で、イタリア出身なのだと、また渋谷に来たのは「スクランブル交差点のど真ん中にいる自分のポートレート写真が撮りたかったから」と答えてくれました。一通り話をした後、僕は写真を撮ってもらいたいのを思い出して唐突に「あなたたちはイケメンすぎる、写真を撮ってくれないか」とお願いした。

 

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イケメンイタリアン

 

撮ってくれた。この二人は本当に中身までイケメンで、僕が英語の勉強として話しかけたことを察してくれたのか僕とゆっくりと英語で雑談をしてくれた。スクランブル交差点大好きらしい。最高だな。住んでくれ、スクランブルに。

 

 

 

 

彼らと別れた後、渋谷ヒカリエのあたりをウロウロしていると、東南アジア系の女性が6人ほどで並んでおり、写真を撮ろうとしていた。

 

 

 

 

話しかけるしかない

 

 

 

 

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東南アジアの方々

 

写真を撮って差し上げるつもりが一緒に自撮りすることになった。どうなってんだよ。

 

 

 

彼女らはとにかく明るくて喋りやすかったのを覚えている。僕みたいなやつの拙い英語も優しく聞いてくれたし最高だった。ガチブスな僕に「ハンサムボーイ!」とお褒めの言葉を投げてくれたのも嬉しかった。ただ自分の顔面レベルを理解しているので心が痛いところもあった。しゃあねぇ.......

 

 

 

 

心の傷も癒えたところで再度渋谷駅をウロつく。マッチョイケメン発見。話しかける。

 

 

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ハイパーマッチョイケメン

もはや何を喋ったのかは覚えていないけれど、とにかくイケメンでマッチョでカッコよかった。性格は分からないけど、こんな訳のわからん日本人のガキを相手してくれるくらいだから絶対に良い。中身までイケメン。

 

 

 

 

 

このあと気が変わって日本人にも話しかけ、「Youtuberなんです」という苦しすぎる言い訳をして写真を撮ってもらったり不審がられたりした。格闘すること三時間。

 

 

 

 

僕は心地よい疲労感と高揚感に包まれて鼓動を続ける心臓のあたりをさすりながらJRの改札口へと向かった。自分でも何やってんだろうと思ったが、こうしてブログの記事にできているあたり完全に無駄な行動ではなかったな、と今になって感じる。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

渋谷には沢山の外国人が観光としてやってくる。彼らの大半はスクランブル交差点で写真を撮ったあとに別の場所へと向かうので渋谷で消費活動を行うことはあまりないそう。でも、だからこそ渋谷のあたりをうろついている外国人というのはなんとなく街を眺めて歩いているだけで実は暇なことが多い。こう書くとそれは一方的であり相手からしたら迷惑だ、と感じる方も多いとは思いますが、基本的に外国の方は意思表示をハッキリと行ってくれるので話しかけた時にムリならムリと分かります。

 

 

 

 

 

そんな彼らに話しかけて、どんな拙い英語でもいいのでコミュニケーションを取ってみることは語学学習という意味でもコミュニケーションという意味でもとても有益だと思います。僕はこの謎行動で合計8回ほど外国人に話しかけて回りましたが、とにかく細かいことは気にせずにデカい声で話しまくったらなんとかなりました。途中「ンン!!」と聞き返されることが一回ありましたが、腹筋に力を入れてデカい声で言い直したら「オウ!イエス!」と話を理解してくれました。楽しい。

 

 

 

 

僕含め日本人は発音にこだわりがちですが、それ以前に声が小さいと聞いてもらえません

 

 

 

 

発音に自信がないから声が小さくなる→伝わらないor聞き返される→自信喪失の流れを辿ってしまうと本当にもったいないので、最初から自信全開で「伝わるかなぁ〜」ではなく「俺の英語を聞け!!!!」みたいな前のめりとも言える姿勢で臨むと、ネイティブ相手でも案外順調に対話できると感じました。もちろん異言語でのコミュニケーションにはもっと体系化されたやり方だったり、ノンネイティブなりの学習方法などがあるのかもしれませんが、「日本生まれ日本育ち、英語は受験くらいでしか触れていない平均的大学生」の僕からすると「細かいことよりデカい声で自分の意思を言葉に押し込む」ことが大事かなと感じます。

 

 

 

 

これに関しては本当に最小限のボキャブラリーがあればあとは頑張ればなんとかなる領域なので、もし大学の授業などで留学生や外国人の教授と英語でしゃべることがあれば参考にしてみてはいかがでしょうか。もちろん僕のように渋谷で外国人に直撃するという謎行動に出るのも面白いと思います。あんまりやりすぎるとウザがられるというか普通に顔と服覚えられてヤバい気がするのでほどほどにやりましょう。ほどほどならくっそ楽しいです。俺のこんなクソイングリッシュでも会話できる!!!って実感した時の高揚感、快感は最高です。

 

 

 

 

 

少し長くなってしまいましたが、読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

それでは、また次の記事で。大瀬戸でした。

 

出会いの重要性と、注意事項

 


僕が大好きな「深夜」という詩集にこんな詩があります。

 

 

 

 

人は 誰しもこころにくすんだ孤独を抱えている

 

 

雨染みのついた心臓は何を欲しているのか

 

 

それは境遇を同じくした孤独との出会いだ

 

 

人生の交点に透明は宿る

 

 

 

 

 

 

もちろんこんな詩集は存在しませんし僕が適当に作ったものです。今読み返すと恥ずかしすぎて自分の頭切り落としたくなるなこれ。

 

 

いきなりこんなくだらん自作詩を記事の冒頭に置いて何がしたいんだと言われれば、特に意味は無いので僕はうるせぇと吠えます。書かせろこういうの。

 

 

 

 

 

 

とにかく、今回の記事の話題は冒頭の詩やタイトルにもある通り出会いの重要性です。出会いという言葉には様々な意味がありますが、今回は「異なる価値観、背景を持つ人間との遭遇」という角度で記事を進めていきます。

 

 

 

 

 

 僕はもう18歳で、今年19歳になります。曲がりなりにも18年は生きたことで、様々な人に出会いました。フィリピン生まれ富山育ちのイケメン、父親が経営者のやつ、中3の受験終わりから東大に入るための受験勉強をスタートさせた陸上部の仲間(受かった)、など。

 

 

 

 

 

みんなそれぞれ僕とは違うモノを持っているし、学び取ることが数多くあったのも確かです。しかし、思い返してみればそれぞれの出会いは小、中、高と同じコミュニティに属していた人間とのもの。僕の高校は地区では少し頭が良いと言われているのですが、そのせいか落ち着いた人が多いところでした。上に挙げた彼らもそう。

 

 

 

 

このように、同じコミュニティに属している人間とは、背景に多少の違いが出ようと根本的な人間味というものはどうしても似てきてしまいます。それは高校に限らず、大学でも、会社でも。

 

 

 

 

特に大学には色んな奴がいる!といいますが、やはり大学には受験なりなんなりをして入らなければいけないので多様性は生まれど同じところを向いていることが多いです。

 

 

 

 

かといってそれらの出会いをないがしろにしているわけではなく、そこで出会った友達が一生の友となることも多いでしょう。僕も高校の友達にはそんなやつらがいます。

 

 

 

 

しかし、完全な新規性を帯びている出会いにこだわるとしたらどうすればいいのか。

 

 

 

 

 

それを得るには全く違うフィールドに飛び込んでみること。ネットブログである程度信頼性が担保されている人物でも、そうでなくともよいですが、とにかく身近なコミュニティを離れて出会いを探してみる。最近はネットが発達しているため、比較的簡単にイベントを見つけることができるかと思います。

 

 

 

 

 

そうすると、それはそれは沢山の「出会い」が生まれます。僕は先日とある機会があり、その意味での出会いを沢山頂きました。大学4年生で僕よりたったの3個上にもかかわらずエンジニアチームを組んでバリバリ活動されている方、また人材系の会社の運営をされている方、日本史が好きすぎて大学では日本史を学ぶ学部に入って勉強する傍らブログを書いている方、転売で大学3年生ながら月に10万円単位で稼いでいる方。

 

 

 

 

 

偉そうな言い方になってしまいそうですが、若いうちから努力して行動して、結果まで出している彼らはカッコいい人たちでした。彼らと話をさせて頂いた時間は短いものでしたが、その時間でも僕は「あ、この人すげぇ人だわ」と心で感じるほどでした。

 

 

 

様々な人に出会い、僕はあのたったの数時間で視野が少し広がりました。「あ、こんな生き方もあるのか」「大学生活をこういう風に使ってる人もいるのか」などと。

 

 

 

 

 

出会いというものはそれくらいに面白く、貴重です。人間は強く強く意識しない限り自分にない要素を自分で割り出すことはできませんが、そのない要素を持っている他人と交流することで比較的簡単に新しい発見をすることができます。

 

 

 

例えば、僕は先述のイベントでとある社会人2年生の方に「大学のうちはとにかく金稼ぎをやってみろ!!」とアドバイスを頂きました。その方法論についても少しだけ教えていただいたのですが、その中には今まで自分が考え付きもしなかったものもありました。ここで僕の視野が1°広がったというわけです。

 

 

 

 

 

しかし、僕はただ視野を広げるだけでは意味がないと考えています。ただ人に出会った、話を聞いた、アドバイスを貰った。それだけではただ首の動く角度が広がっただけにすぎない。

 

 

 

 

もちろんそれは視野が広がったといっても差し支えないのですが、なんせ自分で行動していないので視力が悪い解像度が低い

 

 

出会いで得たものは、それだけでは意味を成さないと僕は思います。

 

 

 

出会いによって得た活力の種を自身で行動/結果というカタチに昇華させなければ、いつまでも目の悪いフクロウのままとなってしまいます。沢山の人に出会ったから首は回るし色んな視点はあるけど、それぞれの視点について自分で何かアクションを起こしていないから見通しが悪い。そうならないように、まずは動く。

自戒を多分に込めて書きました。

 

 

 

 

 

結局、出会いはとても有益なものですが、やはりその出会いの後に自分で走り出せる人間が強いなと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

なんて、また意識高い系の記事を書いてしまいました。ちなみに僕の意識高い系への考えはこちらの記事で紹介しています。

 

www.dramatic-today.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、また次の記事で。

 

 

 

春、眠くてしょうがない時はカフェイン錠剤に頼ろう

春 眠 不 覚 暁   

 

 

中国の詩人である孟浩然が詠んだ漢詩「春暁」の一節。

春眠暁(あかつき)を覚えず。 春の眠りは心地が良く、夜が明けても気付かないほどだ。ということをあらわした詩として広く知られています。

 

 

気がつけば5月。平成は終わりを告げ、新たに令和という時代が始まりました。そして令和初のGW。この休みを利用して各地へ旅行に出かけた方も多いかと思います。旅行でも、仕事でも、遊びでも、とにかくこのGWに何らかの活動をしていた方は疲れが溜まっていて、とても眠いのではないでしょうか。

 

 

 

「朝は頑張って起きたけど、お昼ごろが眠くてしょうがない...」

 

 

 

「お昼ご飯の後が眠すぎる」

 

 

 

カタチはいくつもあれど、GW明けの日本在住者はとにかく眠い。さわやかな緑の風や陽気が僕たちに心地よい眠気を提供してくれますが、正直いらない

 

 

 

 

でも眠い。眠いものはしょうがない。でも寝れない。寝たら怒られる。

 

 

 

 

そんな時に僕がおすすめするのは、カフェイン錠剤の服用です。

 

 


 

 

こちらは「エスタロンモカ」、僕が受験期に眠くてしょうがない時に服用していたカフェイン錠剤です。一回一錠、水で流し込んで20分ほど待つだけで眠気が完全に吹き飛びます。含まれるカフェイン量は一錠につきコーヒー3~4杯分

 

 

しかもこのエスタロンモカ、上に表示されているパッケージのものであれば薬局などで24錠入って300円程度で売られています。多めに見積もってもコーヒー96杯分のカフェインが300円。眠気覚ましのためにコーヒーを飲んでいる方も多いかと思いますが、これを機にエスタロンモカの服用を始めてみてはいかがでしょうか。水さえあれば錠剤を取り出して流し込むのに10秒とかからない上、眠い時に頭にかかるあのモヤのようなものが一瞬にして晴れてゆく感覚を味わうことができます。

 

 

 

 

しかし、過剰摂取は絶対に避けてください。量的な意味でも、間隔的な意味でも。

ここまでカフェイン錠剤をリスクなしの魔法の眠気覚ましツールかのように褒めちぎりながら記事を進めてきましたが、やはり世の中はそこまで甘くありません。これはいわば元気の前借りを行っているようなものなので、一日に2錠も3錠も飲んだり、毎日飲んだりすると体に負担がかかってしまい、ある日突然そのツケを払わされるかのようにガクッと疲れが出てしまいます。これはただ僕が記事内の注意喚起として書いているのではなく、実体験を基にして書いています。

 

 

 

 

 

先述のように僕はこのエスタロンモカを高校3年生の受験期に服用していました。ツイッターでその存在を知った僕は家の近くの薬局にダッシュで買いに行き、その日から服用開始。

ちょうどその時、僕は勉強している時に眠くなってしまい仮眠を取ろうと机に突っ伏してみたら3時間経ってて罪悪感!のような状況が続くことに悩んでいました。対策のために早寝を心がけてはいたのですが、やはり受験本番へのプレッシャーや受験生という進路不確定な立場というものに知らず知らずのうちにストレスを感じていたのか、眠くなる現象は収まらず。

 

 

 

そこにエスタロンモカという、当時の僕にとっては救世主のようなものを手に入れたものです。注意の紙も読まずに飲みまくってしまいました

 

 

 

 

どのくらいの過剰摂取なのかというと、一日一錠が基本のエスタロンモカを一日五錠服用がデフォ。「あ、眠い。」となった時に迷わず口に放りこんでいました。ひどい時は一気に2,3錠飲むことも

 

 

 

 

そんな生活を続けて六日たったある日、僕は急にだるさに襲われて一日中何もできなくなってしまいました。眠い、という気持ちももちろんあったのですが、何より気力がない。頭にはまだ「こんなことしてないで勉強しないとヤバいだろ」という声が響いていたのですが、次第に遠くなる。腕を動かしても、脚をばたつかせても前に進まない水泳をしているかのような感覚で、それでも前に進みたいという意思が残っているからなおのこと気持ち悪い。

 

 

 

そうした状況で僕は丸一日、ただ何もせずに焦りと放心のような何かを同居させながら過ごすことになっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

こうした例のように、過剰摂取を行ってしまうと体に負荷がかかりすぎてしまい、最悪の場合に至ることも。繰り返しになりますが、服用はしすぎないことです。一日は飲んでも二錠。そして連続日で飲むのも避けましょう。

 

 

 

 

 

とはいえ、上手に利用すれば300円でお手軽に眠気をぶっ飛ばして集中力にブーストをかけることができるのも事実です。このGW明け、ぜひ一度だけでも使ってみることをオススメします。

 

 

 

 

 

それでは、また次の記事で。