俺多分ドラマの主人公

大瀬戸バカ日記

大学1年生大瀬戸。このブログを読めば日々がちょっとドラマチックになる。

能力の高い人間に囲まれて生きることの重要性

こんにちは。大瀬戸です。

 

まず、こちらをご覧下さい。

 

 

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デルブーフ錯視

 

 

これはデルブーフ錯視と呼ばれるもので、同じ大きさの円が2つある時にそれぞれの円を囲む円環の大きさが違うと、本来同じ大きさであるはずの2つの円が違うもののように見えてしまう目の錯覚です。現にこの画像を一目見た時に「左のほうが小さいな」と感じたと思います。

 

 

また、この錯視に関する研究には、「被験者に小さいお皿を使用させたら食事量が減少した」という興味深いものがあったりします。

 

 

それはさておき、僕はこの画像を初めて見た時に「人間社会に通ずるものがあるな」と思いました。どういうことなのかを説明していきます。

 

 

 

 

 

まず、皆さんは「お山の大将」という言葉を聞いたことがあるかと思います。レベルの低い集団で上位ないしは一番になっただけなのに威張り散らしている人間のことを表したものです。この手の人間は自分のコミュニティーから出ようとせずに閉鎖的に生きることを好む傾向があるので、なかなか治りません。故に成長も無く、周りから疎まれることがとても多いです。

いませんでしたか、自分より弱い人間としかケンカをしたがらない自称ヤンキーみたいな奴。

 

 

 

次に、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉。中身のあるイネは成長するとともに穂先が下がっていくことから、主に「真に優秀な人間は成長していけばいくほど謙虚になっていくものだ」という意味で用いられています。

そして、僕はこの「謙虚になっていく」過程には必ず、優秀な人間が上へ上へと登っていく途中での「こいつには勝てない」と思わせる自分よりはるかに優秀な人間との出会いがあると思っています。そうして少しでも思い上がっていた自分を反省し、穂先が下がっていく。

 

以上の2つの言葉を簡潔に表したものが、はじめに示した画像です。

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もう一度貼っておきます。

黒い円、すなわち自分自身の大きさは変わりません。

ですが、左のように大きい円環に囲まれる(優秀な人間の中で過ごす)のと右のように小さい円環に囲まれる(自分より能力の低い人間ばかりと接する)のでは、「自分から見た自分」の大きさが違います。

 

 

前者の環境に置かれると、周りのレベルについていくために努力を重ね、また自分自身の相対的なレベルの低さから傲慢になることは無く謙虚な姿勢を取るようになります。そして謙虚な人間は周りからのアドバイスを効率よく吸収することができるので、更に成長することができます。

 

 

対して後者の環境に置かれると、周りの大体の人間が自分より劣っているため、気づかぬ内に優越意識を持つことに慣れてしまいます。そしてその優越に慣れ切った人間は外のコミュニティに出ていくことを恐れます。「自分が下」という経験があまりにも少ないため、それが怖くてたまらないのです。そうして自分のコミュニティにこもり続けるので、自分より優秀な人間からのアドバイスを貰える訳もなく、成長もしません。

 

 

 

「自分が小さく見える環境」というものは、とても貴重で、重要で、有益です。確かに周りが優秀な人間ばかりなのは辛いかもしれませんが、その分成長のチャンスも増えると思います。

 

 

なので、「自分を変えたい」「人間的に成長したい」と感じているけれどどうしたらいいかイマイチわからない人は、まずはある分野において自分よりも上の人間が多くいるコミュニティに飛び込んでみるのをオススメします。分野は自分と接点があるものでも、全く接点の無かったものでも、何でもです。

 

 

 

 

以上、目の錯覚から学ぶ「能力の高い人間に囲まれて生きることの重要性」でした。

大学生のマウンティングやイキリについて考える

 

「え?お前酒飲めないの?ダサくねw」

 

 

「ほろよいとかジュースでしょwいくらでもいけるわw」

 

 

「俺さぁこの前の英語のテスト寝たけど上のクラスになったんだよねw」

 

 

「タバコ何吸う?え?吸ってないの?wマジかw」

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マウントを取る大学生

 

 

 

僕はまだ大学に入学し授業を受け始めて一週間も経っていませんが、早くも大学生が上のようないわゆるマウンティングやイキリをかましている場面に幾度となく遭遇しています。しかも、同じ奴が同じような題材で同じようなマウンティングをしている印象があります。なぜなのでしょうか。

 

 

ここで、まずはこの2つの言葉についての解説をしておきます。

 

「マウンティング」とは

「サルがほかのサルの尻に乗り、交尾の姿勢をとること。霊長類に見られ、雌雄に関係なく行われる。動物社会における順序確認の行為で、一方は優位を誇示し他方は無抵抗を示して、攻撃を抑止したり社会的関係を調停したりする。馬乗り行為。」

(三省堂 大辞林より)

 

であり、要は自分の方が優れているんだぞ!と相手に主張する行為です。

 

また、「イキリ」とは

「いきる」の活用形であり、「いきがる」(粋がる)が約まった言い方であるとする解釈が一般的である。つまり「イキリ」の意味は「調子に乗り虚勢を張る」「得意になって格好をつける」といった意味合いといえる。

(Weblio辞書より/一部改変)

 

 です。「イキリオタク」なんてワードで知った方も多いと思いますが、簡単に言ってしまうとただの見栄っ張りです。

 

 

さて、どうして彼らは他人に対していちいち自分の優位性を示すのでしょうか。

 

 

僕なりの答えとしては、その行為の理由は彼らの自信の無さにあります。

 

 

「え?自分に自信があるから他人に対して自慢できるんじゃないの?」と思った方。

とても良く分かります。ですが、こうも考えられると思います。

 

 

本当に心の底から自分の方が優れているという認識、自信を持っているのならばわざわざ相手に自分の凄さをアピールすることはまず無いでしょう。だって勝ってんだもん。

 

 

彼らは威勢の良いことを言いつつも心のどこかでは自分に自信が持てずにいて、足りない自信をマウンティングによる他者からの承認で補給しているのです。

 

 

ですが悲しいことに彼らの、不足している自信というものはマウンティングやイキリでは真の意味で補給することができません。

 

なぜなら、自信の仕入れ先、耐久度が違うから。

 

虚勢を張った結果、一時的であっても他者からの称賛や承認を受ける。このように

「輸入」してきた自信というものは時間をかけずして他者に生産を押し付けてできたものなので、自らで「生産」したそれよりも遥かに強度が低いです。

割れた石の階段のスキマに土を詰めるようなものです。確かにスキマを埋めるのは容易だし、素早く行えます。でも一度雨が降ってきたら、土は雨に混ざり流れ出ていく。

 

これと同じで、輸入した自信は少し自尊心を削られるような出来事(=雨)が一回でも起きれば簡単に無くなります。マウンティングやイキリという行為の本質にはこのようなものがあると僕は思います。

 

そして、彼らはまた不足した自信を埋めるべく、マウンティング、イキリを繰り返す。これが最初にお話しした「マウンティングは繰り返される」の理由です。

欠けた自尊心、はたまた脆く崩れた自尊心を埋めてくれる1ピースを彼らは欲しているのです。

 

 

 

 

だから、もしあなたの身の周りに過剰な「マウンティング・イキリ」を繰り返す輩がいるのなら、その時は優しく「そうなんだ!凄いな〜」とだけ返しましょう。

 

 

 

 

そして、その友達からは少しだけ距離を置きましょう。

 

 

 

 

 

 

ブログを始めます。

はじめまして。オオセトバカ太郎です。 

 

この度ブログを開設しました。

 

僕は首都圏在住で今春から大学生になる18歳です。

 

まだまだ未熟で、人間としての経験も浅く、青いです。

 

ですが、だからこそ、僕はこれから経験する様々な出来事を見聞録として記します。

 

 

 

よろしくお願いします。チェケラ!

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