本日のドラマチック

本日のドラマチック

首都圏在住の大学一年生。Twitter:@climax_in_drama

自分に酔うことはマジのマジで大事だと思う

自分に酔う、というとなんだか嫌な印象を持つと思います。

 

 

ラーメンつけ麺僕イケメン、なんてまさにそれ。あれはネタと分かっているから笑いの余地がありますが、実生活であんなこと本気で言うやつがいればドン引きです。

 

 

日本人は特に謙虚なことで広く知られています。この人間性には、日本が古来から食べ物や水に困らず、安定した作物の収穫が可能な土地に加え、平和を美とする社会体制、他民族からの襲撃の無さなどが影響しているとのこと。古くから争いが絶えない地域であれば、それこそ謙虚さは命取りになります。

「和をもって尊しとなす」の姿勢こそ、僕達日本人の謙虚さに繋がっているのです。

 

 

ですが、そんな姿勢を美徳として叩き込まれた僕らは時として謙虚と自己肯定感の低さを履き違えてしまいます。

出る杭は打たれる」という僕の大嫌いなことわざがあるのですが、このことわざの杭のように打たれぬように、高い自己肯定感や能力を持ちながらも謙虚に謙虚に生きていくうちに内面で心がしぼんでいってしまった人を僕は今まで何人も見ました。

 

 

謙虚、謙虚、謙虚。僕は小さい頃からサッカーや陸上をやっていたこともあり、コーチからこの大事さをイヤというほど聞かされました。「上手いやつほど腰が低い」「速い選手は決して傲慢にはならないんだぞ」など、数え切れないほど。当時の僕はなるほどなるほどとその美徳を飲み込んでいましたが、高校生になってから飲み込んだ美徳が喉元にせり上がってくるのを感じていました。

 

 

確かに他人に対して謙虚でいるのは大事。やたらめったら自慢なりマウンティングなりをかましまくるやつはたとえ能力が高くても一緒にはいたくない。

でも、自分に対しては?自分にまで謙虚になったら疲れないか?

「謙虚」という美徳にとらわれるあまり、自分さえも自分に頭を下げさせてしまうことがあるのが謙虚の気疲れの原因だと考えました。内面でまでも慎ましく生きてしまっている人が多いんじゃないか、ということ。そして、多分これは間違っていません。

 

 

 

それではもったいない。なので、僕が皆さんにオススメする思考として「自分に酔う」というものを紹介します。

 

 

狩野英孝じゃねぇか。ドン引きされるって言ってただろ。と思うかもしれませんが、ただ自分に酔うだけではありません。外には出さずに中で酔うのです。俺は凄い奴だ、私は誰よりも素敵な女だ、僕は最高だ.....など。言葉に出して他人にアピールするのではありません。内面で叫び続けて自分にアピールするのです。バカバカしいことに思えますがこれやってると自己肯定感が爆上げします。

 

 

そして少々逆説的ですが、内面で自分に酔っていると他人からのアドバイスや意見に耳を傾けやすくなります。それは自己肯定感が高まっていることによって、多少自分と違う意見をぶち込まれても受け止める余裕ができるということ。自己肯定感が低い、つまり度の過ぎた謙虚な人はアドバイスに対して「あぁー俺ダメなんだなやっぱ...」と勝手に萎えてしまう。今の日本は「批判を悪とし、批判を受けることを避けたい」人間が多いらしいですが、根っこの要素の一因にはこれが存在していると考えています。

 

 

加えて、「このアドバイスを吸収したらただでさえデキる俺がもっとデキるやつになれるのか」というとんでもなくめでたい思考が身につく。

 

 

このような圧倒的な自己肯定感の高さというのは、単純に自分の能力を必要以上に高く見積もっており意地悪に言えば現実見れてないバカなのですが、思考が現実を飛び越えないでいるといつまでたっても現実はそのまま、自分はこのままです。まぁそれに、そういう思考のほうが生きてて楽しいし。

 

 

先日大学生ながら事業をやっている方にお話を聞く機会があったのですが、そこで特に印象的だったのが「自分の見える世界、枠組みから出ようと試みるのが大事」というものです。上にもあるように自己肯定感の高さは自分の能力を買いかぶっているだけのことなのですが、その買いかぶりによって思考が現実を越えていきます。なぜ僕がここまで自信を持っているのかというと、高校3年生の受験期に体験したとある出来事が僕に思考の力の効力を確信させたからなのですが、これはまた別の記事で。

 

 

 

兎にも角にも、「謙虚」は外面だけでオッケーです。なにか褒められた時に言葉では「いえいえそんなことありませんよ〜」とかなんとかテキトーーーーに言っといて心の中では「いや当たり前だろ俺様だぞwwwwwwww」と思いましょう。

 

 

 

それでは、この記事を読んだその日から「内面自己陶酔ハッピーライフ」のスタートとしましょう。僕との約束です。

 

 

 

ではまた次の記事で。

明日の朝着ていく服は今日の夜準備しておこう

 


こんにちは、太宰です。

 

 

かの有名なスティーブ・ジョブズは、いつも決まって黒のタートルネックにジーパン、足下にはスニーカーを合わせて生活していました。なぜなのかというと、ウィルパワーを節約するため。ウィルパワーとは、簡単に言えば決断を下す時に使う精神力のようなもの。一日の総量には限りがあるので、彼のような大企業のトップに立って日々大きな決断を正確に行わなければいけない人間は「どの服着ていこうかな..」という風に余計な迷いを起こしていてはウィルパワーの無駄遣いになってしまうのです。だからいつも同じ服。

 

 

 

僕たちも彼らの真似をして毎日の決断の質を上げていきたいものですが、社会人ならまだしも僕のように私服が当たり前の大学生などはそうにもいきません。そこでタイトルのように、明日の朝着ていく服は今日の夜準備することで少しでもウィルパワーを節約してみませんか。朝着る服を迷わないだけでなく、スムーズに着替えを行えるので家を出るまでの圧倒的な時短に繋がります。本当に気分が良い。ちなみに、朝起きて「今日はいい日だなぁ〜!」とポジティブになると本当にワーキングメモリが増えたり幸福度が増したりするそうです。つまり、前日の夜に5分間だけ使って明日の服を選んで置いておくだけで翌日のクオリティが爆上げするということ。こんなにリスク少なくてリターン大きいこと、僕はあと睡眠くらいしか知りません。

 

さて、これを見て下さった読者の方、今が夜ならすぐに明日の服を準備、今が朝ならもう今から明日の朝着る服を準備しましょう。生活の質が爆上げすることを保証します。

 

 

タイトルの内容を冒頭で書き切ってしまったわけですが、僕の記事がこんな短さで終わるわけがありません。今回はこのウィルパワーを節約するために行う事前準備や工夫を考えられるだけ出してみました。日々の生活に活かせるものがあればぜひ参考にしてみて下さると嬉しいです。

 

 

  • 財布をいつも同じポケットにしまっておく

いつも尻ポケットに入れている方もいるとは思いますが、電車移動をする時は改札以外財布を使わない!という人は財布をカバンに放ってそのままにしていることも多いのではないのでしょうか。そして、いざ財布を取り出そうとなったときにはカバンの中でかき混ぜられており取り出しが困難になり、「あれ、どこだったっけ...」とウィルパワーを消費してしまいます。

そんな不便を解消するために、財布をカバンにしまう時はいつも同じポケットに入れるようにしましょう。習慣づけるだけで大分スムーズに移動ができてストレスがありません。これは元々アホほど横着な自分が改札を出る時にカバンをゴソゴソするのが惨めなのとシンプルに財布が出てこないのがムカつくということで習慣づけたものです。元々几帳面で管理が上手い人はもっと良い方法を知っているかもしれません。もしあればコメント欄にお願いします.....

 

 

  • 家のカギやイヤホンなどの小物は同じところに置く

家から帰ってきて「疲れた〜」と開放された気分で過ごしていると、無意識のうちにカギをどこかに置いたままにしてしまうこと、ありませんか?一度でもあるのなら、100均などに売っている小さなカゴを買って自分の部屋に置きましょう。家に帰ってきたら速攻カギ類をそこに入れましょう。翌朝はそのカゴを手に伏せるようにひっくり返すだけで家を出る最後の準備が0.5秒ほどで終わります。「カギどこだっけな」と余計なことにウィルパワーを使わずに、仕事や学校、気になるあの子や彼女、彼氏とのデートに力を回しましょう。

 

 

  • 家のカギを閉めた後に一本締めをする

何を言ってるんだお前はと思うかもしれませんが、これはかなり使えます。出先、特に旅行などする時に道中で「カギ閉めたっけ??」と悩んだ経験、ありますよね。あれは個人的には本当に精神力ないしはウィルパワーの無駄遣いです。なぜなら悩んだところで答えが出ないから。最近ではスマートデバイスなどでカギを閉めたかどうかを確認することもできるらしいですが、さすがにあれは高いしそこまでするのもめんどくさい。そこで僕が提案するのはこのカギ閉め後の一本締め。なにもこれにこだわらなくても良いのですが、「普段この動作の後に絶対しないだろ」っていう行動は記憶に色濃く残ります。カギを閉めたことを忘れてしまうのは、その動作をあまりにも沢山繰り返したせいで完全に自動化されてしまっているから。そこに、普段ではありえない動作をプラスすると、疑念が頭に登ってきても「いや、今日はさっき一本締めした記憶があるから大丈夫だ」「うん、3回連続ジャンプなんかカギ閉めた後にしかしない」と、簡単に確認して安心することができるのです。

 

 

 

 

とりあえず実行が簡単な3つを挙げました。他にも良いウィルパワー節約行動を知っている!というかた、ぜひコメント覧やはてなブックマークのコメント欄で僕に教えてください。よろしくお願いします!

どんな意見でも一度は心のフィルターに受け入れてみることの大切さ

僕の高校に、ヤマダという数学の先生がいた。彼は指導が厳しいタイプであり、特に怒る時の勢いがハンパではないため学校の中でもあまり好かれていなかった。僕もその例外ではなく、彼のことはなんだか苦手に思っていた。

 

 

 

そんな彼だが、僕は彼の言葉に忘れられないものがある。

 

 

高校2年生の冬休みに入る少し前の学校集会のこと。僕の高校では委員が一通り連絡事項を伝え終えた後に先生が一言話す時間があるのだが、いつも集会の場では話さないヤマダ先生がマイクを持った。僕はなにをするでもなくいつものようにスマホをいじったり友達と話したりしており話を聞いていなかったのだが、たまたま顔を上げてなんとなく前を見た時、こんな言葉が聞こえてきた。

 

 

「みなさん、意見は貴重です。まずは受け入れましょう。合わなかったら捨てれば良い。最近では貰った意見に少しでも嫌なところがあると拒絶する人が多いようですが、それではもったいない。」

 

 

その後の話はよく覚えていない。冬休みの過ごし方のことを話していたかもしれないし、そうではなかったかもしれない。僕はその言葉を心の喉元に留めて飲み込めずにいながら、友人とまた話し始めていた。

 

 

その日は部活が少し長引き、またこの冬を越すともう受験生だということで予備校で自習をして家に帰るともう11時半。寝るための最低限の作業を無心でこなした時には、長針と短針は重なっていた。明日は朝練だ。急いでベッドに潜り込み、目を閉じる。意識が海にゆっくりと沈んでいくような、いかないような、心地よい波にゆっくりと飲まれながら僕はその日に聞いたヤマダ先生の言葉を意識の水面に見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

意見は一度受け入れてみよう

 

こんにちは、太宰です。冒頭にもある通り、この記事は僕の高校2年生の時の話と地続きとなっています。なぜだか鮮明に覚えているあの時のふんわりとした感覚に大学1年生となった僕がブログという形で決着を付けてしまおうと思い書いているものです。記憶というものは不思議なもので、適切なタイミングで蘇ってきます。その記憶の浮上が起こったのがおととい、5月7日の夜。

 

この時期にしてはとても寒い夜だった上に僕は半袖一枚で大学に行っていたため死ぬほど寒い思いをしながら家までの道をとぼとぼと歩いていました。そんな夜、街灯をぼんやりと見ながら歩いていたところに、この記事の冒頭で記したヤマダ先生の話を思い出しました。

 

 おそらくあの時の寒さが、高校2年生の冬のものと重なり合ったのでしょう。記憶はにおい、色、音楽、寒さ、暑さなど色々な要素をトリガーにして一瞬で蘇ってきます。ちなみにこの記憶についての話は僕にも書きたいものが沢山あるので、あの時と同じ夏になったら記事にします。

 

 

 

さて、本題に戻ります。意見は一度は受け入れようという話。大前提として心無いクソみたいな批判や侮辱をするいわゆる「アンチ」の言葉は意見とはみなしません。あれは鳴き声です。決して僕たちのような高度文明動物が発してはいけないもの。

 

 

人間は弱い生き物です。自分の人生を見返して考えてもそう感じます。僕がそんな人間の弱さも美しいと感じてしまうのはさておき、こと意見に関してはできるだけ耳触りの良い言葉を聞いていたいものです。褒められたい、感謝されたい、批判されたくない、称賛してほしい。世の中には「批判をいちいち気にするな」という内容の本、ブログ、動画が無数にあります。僕もその意見には大賛成なのですが、そういう動画を多くの人が参考にしているのはやはり「批判は嫌だ」と考えており、何らかの対処法を考えているから。そんな中、僕は上のように「批判を一度は受け入れる」ことの重要性を記事にしています。

 

いちいち受け入れてたらキリがねぇだろ、とお思いの方もいるかと思います。しかし、僕が考えるそれはそんな負担を最低限にまで削ぎ落としたものです。それは心のフィルターを作る考え方。文字で説明する前にこちらのイラストをご覧下さい。

 

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心のフィルター

穴空いてなくね?とかの正確過ぎるツッコミは極力控えてください。実はこれは「机」のイラストをひっくり返してフィルターっぽくしたものです。 手にお持ちのスマホを上下逆さまにすれば机だと分かります。

 

 

このイラストが何を表しているのかというのは冒頭のヤマダ先生の話を見返せば一瞬なのですが、僕は曲がりなりにも物書きとして活動しようと動き始めた人間なので説明させてください。

 

 

上の大きなフィルターは、心に大きな大きな影響を与えることはないけれど、その代わりに多様な意見を受け入れる第一フィルター。たとえ嫌いな人からの意見でも、それに筋が通っていれば、まずは受け入れてみる。いらぬ抵抗はしない。

 

下の小さなフィルターは、心や自分の思考の方向に影響を与える、自分にフィットした意見のみを集めるための第二フィルター。ここにはこだわって吟味をする。

 

 

誰の意見だとか、そういうものは考えずに。ラッピングは剥がしてものを考えましょう。成功している起業家だから自分に効果があるとは限らないし、普段からいけすかないアイツが自分にドンピシャの意見をこぼしてくれることもある。だから、上の図のように口は大きく開けておく。選別はそのあと。母数が多くて困ることは絶対にありません。要らないと思ったら捨てればいいだけ。

 

 

自分に変わるためのきっかけを与えてくれる最高のアイデアは、案外近くに転がっていることが多いかもしれません。でも、大事なのはそれを貰ったら自分で走り出すことだと僕は思います。

 

 

 

 

それでは。

暇すぎて渋谷駅周辺を歩いてる外国人に話しかけまくった話

こんにちは、太宰です。

 

 

暇、というのは難しいものだと個人的に思っています。

 

 

普段あんなに「時間ができたらやりたいことしてぇな〜」と言いながら日々をつまづきながらも懸命に走っている僕などは、いざ時間を与えられるとどうしたものか、前からやりたいと思っていたことには手を付けず、おもむろにPS4のコントローラーを手に取りゲームに没頭して時間を過ごしてしまう。

今考えれば本当にやりたいことには「時間ができたら」といった条件付けなど行われないはずだから、あの時望んでいたアレはやりたいことではなかったのではないか?なんてくだらないもの思いをしてしまいます。

 

 

 

とにもかくにも、そんな暇を苦手としている性格の僕が渋谷で時間を持て余している。大学に入って間もない4月の初旬。僕はとあるサークルの新歓に来たのですが、「新入生歓迎会」と銘打たれたイベントに新入生がガチで僕だけという本当に訳の分からない状況に置かれていました。秒で抜けることを決めました。

 

 

元々新入生は500円というイベントだったので、「母親から早く帰ってこいとラインが来た」という、ちょっと勘のいいチンパンジーであれば疑いをかけるレベルのでまかせを吐いて500円を払った後、僕はハチ公像を眺めながら1人でただ突っ立っていました。7時のこと。母親が怒るっていっても門限早すぎだろ

 

 

 

何しよう?そんな考えで僕の心は少しずつ埋まっていきました。

 

 

このまま帰るのは何か負けた気がする。きっと家に帰ったって、今日の新歓で肩透かしを食らったことに対する静かな不満を税込み108円のくだらない炭酸飲料で体のどこかへ流し込む作業をひとり自室で行うだけだ。くだらん。

 

 

 

そんなことを思いながら、自分の頭の引き出しを開けたり閉めたりすることを繰り返して2分。僕は引き出しから一つのアイデアを引き出し、バタンとそれを閉める。

 

 

 

 

そうだ。とりあえず外国人に話しかけよう。

 

 

 

一度決めたらもう始める。暇人の勢い舐めんじゃねぇぞ...........見えない誰かと競うように僕はハチ公を後にし、薄い木々を抜け、まるで口を開けて待っているかのように明るく眩しい渋谷の街へと繰り出しました。

 

 

 

何をしようかなんて特に考えていなかったので、歩きながら考えることに。とにかく外国人に話しかけて、英語で喋って....そうだ、写真でも一緒に撮ってもらうか

 

 

 

 

それから僕は色んな外国人の方に声をかけた。

 

 

 

 

最初に話しかけた彫りの深いイケメン二人組は、僕の拙い英語で出身やなぜ渋谷に来たのかを聞くと優しくゆっくりとした英語で、イタリア出身なのだと、また渋谷に来たのは「スクランブル交差点のど真ん中にいる自分のポートレート写真が撮りたかったから」と答えてくれました。一通り話をした後、僕は写真を撮ってもらいたいのを思い出して唐突に「あなたたちはイケメンすぎる、写真を撮ってくれないか」とお願いした。

 

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イケメンイタリアン

 

撮ってくれた。この二人は本当に中身までイケメンで、僕が英語の勉強として話しかけたことを察してくれたのか僕とゆっくりと英語で雑談をしてくれた。スクランブル交差点大好きらしい。最高だな。住んでくれ、スクランブルに。

 

 

 

彼らと別れた後、渋谷ヒカリエのあたりをウロウロしていると、東南アジア系の女性が6人ほどで並んでおり、写真を撮ろうとしていた。

 

 

 

話しかけるしかない

 

 

 

 

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東南アジアの方々

 

写真を撮って差し上げるつもりが一緒に自撮りすることになった。どうなってんだよ....

彼女らはとにかく明るくて喋りやすかったのを覚えている。僕みたいなやつの拙い英語も優しく聞いてくれたし最高だった。ガチブスな僕に「ハンサムボーイ!」とお褒めの言葉を投げてくれたのも嬉しかった。ただ自分の顔面レベルを理解しているので心が痛いところもあった。しゃあねぇ.......

 

 

 

心の傷も癒えたところで再度渋谷駅をウロつく。マッチョイケメン発見。話しかける。

 

 

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ハイパーマッチョイケメン

もはや何を喋ったのかは覚えていないけれど、とにかくイケメンでマッチョでカッコよかった。性格は分からないけど、こんな訳のわからん日本人のガキを相手してくれるくらいだから絶対に良い。中身までイケメン。

 

 

 

 

 

このあと気が変わって日本人にも話しかけ、「Youtuberなんです」という苦しすぎる言い訳をして写真を撮ってもらったり不審がられたりした。格闘すること三時間。

 

 

 

 

僕は心地よい疲労感と高揚感に包まれて鼓動を続ける心臓のあたりをさすりながらJRの改札口へと向かった。自分でも何やってんだろうと思ったが、こうしてブログの記事にできているあたり完全に無駄な行動ではなかったな、と今になって感じる。

 

 

 

 

☆    ★    ☆

 

 

 

 

 

 

渋谷には沢山の外国人が観光としてやってくる。彼らの大半はスクランブル交差点で写真を撮ったあとに別の場所へと向かうので渋谷で消費活動を行うことはあまりないそう。でも、だからこそ渋谷のあたりをうろついている外国人というのはなんとなく街を眺めて歩いているだけで実は暇なことが多い。こう書くとそれは一方的であり相手からしたら迷惑だ、と感じる方も多いとは思いますが、基本的に外国の方は意思表示をハッキリと行ってくれるので話しかけた時にムリならムリと分かります。

 

 

 

 

 

そんな彼らに話しかけて、どんな拙い英語でもいいのでコミュニケーションを取ってみることは語学学習という意味でもコミュニケーションという意味でもとても有益だと思います。僕はこの謎行動で合計8回ほど外国人に話しかけて回りましたが、とにかく細かいことは気にせずにデカい声で話しまくったらなんとかなりました。途中「ンン!!」と聞き返されることが一回ありましたが、腹筋に力を入れてデカい声で言い直したら「オウ!イエス!」と話を理解してくれました。楽しい。

 

 

 

僕含め日本人は発音にこだわりがちですが、それ以前に声が小さいと聞いてもらえません

 

 

発音に自信がないから声が小さくなる→伝わらないor聞き返される→自信喪失の流れを辿ってしまうと本当にもったいないので、最初から自信全開で「伝わるかなぁ〜」ではなく「俺の英語を聞け!!!!」みたいな前のめりとも言える姿勢で臨むと、ネイティブ相手でも案外順調に対話できると感じました。もちろん異言語でのコミュニケーションにはもっと体系化されたやり方だったり、ノンネイティブなりの学習方法などがあるのかもしれませんが、「日本生まれ日本育ち、英語は受験くらいでしか触れていない平均的大学生」の僕からすると「細かいことよりデカい声で自分の意思を言葉に押し込む」ことが大事かなと感じます。

 

 

 

これに関しては本当に最小限のボキャブラリーがあればあとは頑張ればなんとかなる領域なので、もし大学の授業などで留学生や外国人の教授と英語でしゃべることがあれば参考にしてみてはいかがでしょうか。もちろん僕のように渋谷で外国人に直撃するという謎行動に出るのも面白いと思います。あんまりやりすぎるとウザがられるというか普通に顔と服覚えられてヤバい気がするのでほどほどにやりましょう。ほどほどならくっそ楽しいです。俺のこんなクソイングリッシュでも会話できるゥー!!!って実感した時の高揚感、快感は最高です。

 

 

 

 

少し長くなってしまいましたが、読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

それでは、また次の記事で。

 

出会いの重要性と、注意事項

 


僕が大好きな「深夜」という詩集にこんな詩があります。

 

 

 

 

人は 誰しもこころにくすんだ孤独を抱えている

 

 

雨染みのついた心臓は何を欲しているのか

 

 

それは境遇を同じくした孤独との出会いだ

 

 

人生の交点に透明は宿る

 

 

 

 

 

 

もちろんこんな詩集は存在しませんし、なんならこの詩モドキは僕が炭酸水にガリガリくんソーダ味を突っ込んでかき混ぜながら適当に作ったものです。これめちゃくちゃに美味しいので夏になったら記事にします。

いきなりこんなくだらん自作詩を記事の冒頭に置いて何がしたいんだと言われれば、特に意味は無いので僕はうるせぇと吠えます。書かせろこういうの。好きなんだよ。

 

 

 

とにかく、今回の記事の話題は冒頭の詩やタイトルにもある通り出会いの重要性です。出会いという言葉には様々な意味がありますが、今回は「異なる価値観、背景を持つ人間との遭遇」という角度で記事を進めていきます。

 

 

 

 僕はもう18歳で、今年19歳になります。曲がりなりにも18年は生きたことで、様々な人に出会いました。フィリピン生まれ富山育ちのイケメン、父親が経営者のやつ、中3の受験終わりから東大に入るための受験勉強をスタートさせた陸上部の仲間(受かった)、など。

 

 

 

みんなそれぞれ僕とは違うモノを持っているし、学び取ることが数多くあったのも確かです。しかし、思い返してみればそれぞれの出会いは小、中、高と同じコミュニティに属していた人間とのもの。僕の高校は地区では少し頭が良いと言われているのですが、そのせいか落ち着いた人が多いところでした。上に挙げた彼らもそう。

 

 

 

このように、同じコミュニティに属している人間とは、背景に多少の違いが出ようと根本的な人間味というものはどうしても似てきてしまいます。それは高校に限らず、大学でも、会社でも。

 

 

 

特に大学には色んな奴がいる!といいますが、やはり大学には受験なりなんなりをして入らなければいけないので多様性は生まれど同じところを向いていることが多いです。

 

 

 

かといってそれらの出会いをないがしろにしているわけではなく、そこで出会った友達が一生の友となることも多いでしょう。僕も高校の友達にはそんなやつらがいます。

 

 

 

しかし、完全な新規性を帯びている出会いにこだわるとしたらどうすればいいのか。

 

 

 

それを得るには全く違うフィールドに飛び込んでみること。ネットブログである程度信頼性が担保されている人物でも、そうでなくともよいですが、とにかく身近なコミュニティを離れて出会いを探してみる。最近はネットが発達しているため、比較的簡単にイベントを見つけることができるかと思います。

 

 

 

そうすると、それはそれは沢山の「出会い」が生まれます。僕は先日とある機会があり、その意味での出会いを沢山頂きました。大学4年生で僕よりたったの3個上にもかかわらずエンジニアチームを組んでバリバリ活動されている方、また人材系の会社の運営をされている方、日本史が好きすぎて大学では日本史を学ぶ学部に入って勉強する傍らブログを書いている方、転売で大学3年生ながら月に10万円単位で稼いでいる方。

 

 

 

偉そうな言い方になってしまいそうですが、若いうちから努力して行動して、結果まで出している彼らは本当にカッコいい人たちでした。彼らと話をさせて頂いた時間は短いものでしたが、その時間でも僕は「あ、この人めちゃめちゃすげぇ人だわ」と心で感じるほどでした。

 

 

 

様々な人に出会い、僕はあのたったの数時間で視野が少し広がりました。「あ、こんな生き方もあるのか」「大学生活をこういう風に使ってる人もいるのか」などと。

 

 

 

 

出会いというものはそれくらいに面白く、貴重です。人間は強く強く意識しない限り自分にない要素を自分で割り出すことはできませんが、そのない要素を持っている他人と交流することで比較的簡単に新しい発見をすることができます。

 

例えば、僕は先述のイベントでとある社会人2年生の方に「大学のうちはとにかく金稼ぎをやってみろ!!」とアドバイスを頂きました。その方法論についても少しだけ教えていただいたのですが、その中には今まで自分が考え付きもしなかったものもありました。ここで僕の視野が1°広がったというわけです。

 

 

 

 

しかし、僕はただ視野を広げるだけでは意味がないと考えています。ただ人に出会った、話を聞いた、アドバイスを貰った。それだけではただ首の動く角度が広がっただけにすぎない。

 

 

もちろんそれは視野が広がったといっても差し支えないのですが、なんせ自分で行動していないので視力が悪い解像度が低い

出会いで得たものは、それだけでは意味を成さないと僕は思います。

 

 

出会いによって得た活力の種を自身で行動/結果というカタチに昇華させなければ、いつまでも目の悪いフクロウのままとなってしまいます。沢山の人に出会ったから首は回るし色んな視点はあるけど、それぞれの視点について自分で何かアクションを起こしていないから見通しが悪い。そうならないように、まずは動く。

自戒を多分に込めて書きました。

 

 

 

 

 

結局、出会いはとても有益なものですが、やはりその出会いの後に自分で走り出せる人間が強いなと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆     ★     ☆

 

 

なんて、また意識高い系の記事を書いてしまいました。ちなみに僕の意識高い系への考えはこちらの記事で紹介しています。

 

www.dramatic-today.com

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁいいよね、行ったイベントはそれこそ「意識高い系」だったし。

 

 

 

 

 

 

それでは、また次の記事で。

 

 

 

春、眠くてしょうがない時はカフェイン錠剤に頼ろう

春 眠 不 覚 暁   

 

 

中国の詩人である孟浩然が詠んだ漢詩「春暁」の一節。

春眠暁(あかつき)を覚えず。 春の眠りは心地が良く、夜が明けても気付かないほどだ。ということをあらわした詩として広く知られています。

 

 

気がつけば5月。平成は終わりを告げ、新たに令和という時代が始まりました。そして令和初のGW。この休みを利用して各地へ旅行に出かけた方も多いかと思います。旅行でも、仕事でも、遊びでも、とにかくこのGWに何らかの活動をしていた方は疲れが溜まっていて、とても眠いのではないでしょうか。

 

 

 

「朝は頑張って起きたけど、お昼ごろが眠くてしょうがない...」

 

 

 

「お昼ご飯の後が眠すぎる」

 

 

 

カタチはいくつもあれど、GW明けの日本在住者はとにかく眠い。さわやかな緑の風や陽気が僕たちに心地よい眠気を提供してくれますが、正直いらない

 

 

 

 

でも眠い。眠いものはしょうがない。でも寝れない。寝たら怒られる。

 

 

 

 

そんな時に僕がおすすめするのは、カフェイン錠剤の服用です。

 

 

【第3類医薬品】エスタロンモカ錠 24錠

【第3類医薬品】エスタロンモカ錠 24錠

 

 

こちらは「エスタロンモカ」、僕が受験期に眠くてしょうがない時に服用していたカフェイン錠剤です。一回一錠、水で流し込んで20分ほど待つだけで眠気が完全に吹き飛びます。含まれるカフェイン量は一錠につきコーヒー3~4杯分

 

 

しかもこのエスタロンモカ、上に表示されているパッケージのものであれば薬局などで24錠入って300円程度で売られています。多めに見積もってもコーヒー96杯分のカフェインが300円。眠気覚ましのためにコーヒーを飲んでいる方も多いかと思いますが、これを機にエスタロンモカの服用を始めてみてはいかがでしょうか。水さえあれば錠剤を取り出して流し込むのに10秒とかからない上、眠い時に頭にかかるあのモヤのようなものが一瞬にして晴れてゆく感覚を味わうことができます。

 

 

しかし、過剰摂取は絶対に避けてください。量的な意味でも、間隔的な意味でも。

ここまでカフェイン錠剤をリスクなしの魔法の眠気覚ましツールかのように褒めちぎりながら記事を進めてきましたが、やはり世の中はそこまで甘くありません。これはいわば元気の前借りを行っているようなものなので、一日に2錠も3錠も飲んだり、毎日飲んだりすると体に負担がかかってしまい、ある日突然そのツケを払わされるかのようにガクッと疲れが出てしまいます。これはただ僕が記事内の注意喚起として書いているのではなく、実体験を基にして書いています。

 

 

 

先述のように僕はこのエスタロンモカを高校3年生の受験期に服用していました。ツイッターでその存在を知った僕は家の近くの薬局にダッシュで買いに行き、その日から服用開始。

ちょうどその時、僕は勉強している時に眠くなってしまい仮眠を取ろうと机に突っ伏してみたら3時間経ってて罪悪感!のような状況が続くことに悩んでいました。対策のために早寝を心がけてはいたのですが、やはり受験本番へのプレッシャーや受験生という進路不確定な立場というものに知らず知らずのうちにストレスを感じていたのか、眠くなる現象は収まらず。

 

そこにエスタロンモカという、当時の僕にとっては救世主のようなものを手に入れたものです。注意の紙も読まずに飲みまくってしまいました

 

 

どのくらいの過剰摂取なのかというと、一日一錠が基本のエスタロンモカを一日五錠服用がデフォ。「あ、眠い。」となった時に迷わず口に放りこんでいました。ひどい時は一気に2,3錠飲むことも

 

 

そんな生活を続けて六日たったある日、僕は急にだるさに襲われて一日中何もできなくなってしまいました。眠い、という気持ちももちろんあったのですが、何より気力がない。頭にはまだ「こんなことしてないで勉強しないとヤバいだろ」という声が響いていたのですが、次第に遠くなる。腕を動かしても、脚をばたつかせても前に進まない水泳をしているかのような感覚で、それでも前に進みたいという意思が残っているからなおのこと気持ち悪い。

 

そうした状況で僕は丸一日、ただ何もせずに焦りと放心のような何かを同居させながら過ごすことになっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆    ★    ☆

 

 

 

こうした例のように、過剰摂取を行ってしまうと体に負荷がかかりすぎてしまい、最悪の場合に至ることも。繰り返しになりますが、服用はしすぎないことです。一日は飲んでも二錠。そして連続日で飲むのも避けましょう。

 

 

 

とはいえ、上手に利用すれば300円でお手軽に眠気をぶっ飛ばして集中力にブーストをかけることができるのも事実です。このGW明け、ぜひ一度だけでも使ってみることをオススメします。

 

 

 

 

 

それでは、また次の記事で。

 

陸上部が大会で暇な時にやっているクソしょうもないこと

こんにちは、太宰です。

 

 

 

他の記事でも書いているのですが、僕は中学高校と陸上部に所属していました。

 

 

 

 

陸上部にいたことがある方なら分かるかもしれませんが、陸上の大会はマジでだいたいヒマです。なぜなら大会が全日行われるのにも関わらず出番は多くても3,4回だからです。それも、多く出ることができるようになるのは特に自分が3年生になり部活の軸となって動く時。ペーペーの1年生や中途半端な2年生は記録会という重要度の低い大会くらいでしか複数エントリーをしないので、重要かつ自分が主力でない大会でのヒマさ加減はハンパではありません

 

 

 

 

僕は高校時代たまたま自分の種目を専門としている先輩が1 人だけだったので1年生の秋から比較的重要な大会でも走ることができていましたが、それでもその時はリレーに出ていなかったので出番以外はヒマでした。

 

 

 

 

中学時代なんてもっとひどい。高校陸上は低学年であっても体が成長していたり動きのセンスがある選手だったりすると上級生と競ったり普通に勝ったりするので出番が本当に無い、ということは起こりづらいのですが、中学生は1年生と3年生で体つきが大きく異なるのでよっぽどの才能なりなんなりがないと勝負になりません。

 

まぁ要は中1中2の時に行く大会は死ぬほどヒマってことです。

 

 

 

 

 

中学生高校生という生物は面白いもので、ヒマだとなれば王道の発想から誰もが予想だにしない斜め上の発想でヒマをぶっ潰しにかかります。今回はそんな暇つぶしに関して、僕が中学1年生から見てきたものの中で面白いと思ったものを紹介します。

 

 

 

 

 

  • じゃん負けスネ毛ブチ抜きゲーム

初発から汚すぎる字面の暇つぶし方法ですが、これは僕が中学3年生の時に流行りました。あまり人数が増えると危険なので4人ほどでやるのがベストです。僕が3年生の時にリレーメンバーでこの遊びを大会があるごとにやるというのを繰り返した結果、10月の引退前にはリレーメンバー全員のスネ毛が見違えるほど濃くなっていました

気になるやり方ですが、至ってシンプル。じゃんけんをして、最後の負け1人のスネ毛をそれ以外の全員が1回ずつブチ抜きにかかるというもの。最初に4人ほどでやるのがベストだと書いた理由がお分かりでしょうか。人数を増やすと一回で死ぬほどブチ抜かれるのです。

ちなみに、一回で抜くスネ毛の量に規定は無いのでメンバーは慣れ始めると致死量スレスレの量を引きちぎる術を習得します。これに関しては僕が一番上手で、広範囲のスネ毛を後少しで死んでしまうギリギリで抑えながらかっさらっていたものです。あまりの上手さに僕には「ハーデス」というあだ名が付きました。


初めはなぜハーデスなのか分かりませんでしたが、後から考えたらその当時流行っていたパズドラに出てくるハーデスというモンスターが大きな鎌を持っているからでした。分かりづれぇな。

 

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  • 双眼鏡で美女探索ゲーム 

これは僕が中学2年生の時に全盛期を迎えた遊びです。 陸上の大会が行われる競技場というのは400mのトラックを囲むようにテントが置かれるため、対岸のテントは遠くて肉眼だとあまり見えません。

そんな事態に憤りを感じたユウスケという男がある日、おもむろにカバンから双眼鏡を取り出し、「どれどれ、美女はどこかな?」とわざとらしく大きな声で言いながら対岸のテントを双眼鏡でガン見し始めました。

周りにいた中学2年生という肩書きによってかろうじて人間扱いを受けているチンパンジー達はまるで初めて火を見た人類かのようにユウスケに近づき、双眼鏡を貸してほしいと各々の気持ちを拙い人間語でお願いしたものでした。僕ももちろん行きました

 

その日を境にして僕たちの陸上部のテントはまるで野鳥観察会かのような雰囲気に様変わり。汚い中学生の男たちが各々の欲望を熱い視線へと昇華させ対岸の美女を探す。「いた!!」と誰かが声を上げれば「どこだ!」「教えろ!」「オイ!」「教えろ!死ね!」などと野太い要求がテントにこだまする。中には皆が双眼鏡に夢中になっていることを逆手に取り、観察中のやつのパンをパクったり冗談では済まない規模のカンチョーをかます知将も現れましたが、すぐに取り押さえられ両脇を固定されて脇を思いっきりくすぐられるやつを30秒やられて死んでいきました。怖いものです。

 

 

 

 

  • 替え歌作成 

ここに来てまともなのが来たな、と感じたあなたはもう毒されてしまっています。

これは中学3年生のときに大流行しました。様々な美しい曲が僕たち陸上部員の足りない脳ミソによってガラクタへの変身を遂げていったことを未だによく覚えています。

 

中でも人気だったのは槇原敬之の「どんなときも」の替え歌。

 

サビの

どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために

 

という美しい歌詞が

 

 

コンニャクイモ コンニャクイモ ヤマイモ サトイモ サツマイモ

 

 

 

ただのイモになってしまいました。

 

 

とはいえ初めて聞いた時は部活の仲間のセンスに脱帽でした。「お前は陸部なんかじゃなくてニコ動で活動したほうがいいんじゃねぇか?」と話したのを覚えています。実際に口ずさんで見てください。多分しばらくは離れません。

 

 

その他にも色々とあるのですが、いかんせん僕たちの中学校の生徒は僕含めてまともな学校教育を受けていないのでネタが切れると即座に下ネタに走ります。明らかに大声では言えないようなワードを公衆の面前で絶叫してケラケラと笑いながら時間が過ぎるのを待っていたのです。その姿はまさにゴブリン(クラッシュオブクランに出てくる全身緑タイプ)のよう。

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陸上競技部

 

 

 

 

 

一つだけ紹介すると、サザエさんのエンディングテーマの

 

サ〜ザ〜エ〜さん        サ〜ザ〜エ〜さん  

 

の「サザエさん」の部分を改変して

 

ヤリ◯ン〜さん     ヤリ◯ン〜さん

 

 

にして歌っていました。まず三文字を入れるとメロディーが決めているところに四文字のワードを無理矢理にねじ込む精神から評価していきたいのですが、幼かった友をディスっても何も生まないのでこの辺で切ります。

本当にどうしようもないし今同じことをやられても「は?」となるだけなのですが当時の僕たちにはバカウケ。例えあいみょんがこの時期にヒットしていたとしても僕たちはこれを支持していたと思います

 

 

 

 

 

 

 

☆      ★       ☆

 

 

 

 

ここまで元陸上部員の僕が暇つぶし方法について書いてきましたが、全て中学校の時のもので高校の時のものが無いことに気づきました

 

 

 

 

それもそのはず。思い返せば、僕はみんなの中学情報という口コミサイトで「来ちゃダメだ」「入学したことを後悔している」「放任主義という名のアナーキー」「いじめが多すぎる」と書かれるレベルのパンドラボックスのような環境の公立中学校で3年間を過ごしたのち、運良く難関と呼ばれる偏差値高めでのんびりした雰囲気の高校に運良く合格したので、どう考えてもこういう話題に使うのは中学校の方なのだ。

それは許してほしい。

 

 

 

しかし、高校にも面白いやつはたくさんいたし、きっとこれからもこいつらとはずっと遊ぶんだ、と予感するほど仲の良い友達もいる。そいつらとの狂ったエピソードもたくさんあるので、それに関してはまたいつか気が向いた時に記事にしようと思う。

 

 

 

 

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

それでは、また次の記事で。

自己中な男はなぜモテるのか?

こんにちは、太宰です。

 

 

 

僕は今年の春から大学生になり、このように気の向くままに文章を書いてブログという形で世の中に発信しながら学生生活を送っています。

 

 

 

そんな自分ですが、つい2ヶ月前までは高校生。そして僕が引退した去年の6月までは陸上競技部に所属し、日々0.01秒を削り出すためにクソほど辛い練習をギリギリの状態でこなしていました。

 

 

 

 

高校陸上には「総体路線」と呼ばれるものがあります。

 

世の中で広く「インターハイ」と呼ばれている全国大会へ向けた地区予選からの勝ち進みです。はじめは市などの規模からスタートし、それを勝ち抜いた選手が県大会で6番以内に入ることで北関東、南関東、九州、近畿、などの大きなブロック大会に進出。更にそのブロック大会で6番以内に入ると、全ての陸上人が夢見るインターハイ、「全国高等学校陸上競技対抗選手権大会」への切符を手に入れることができます。

 

 

ちなみに中学陸上の全国大会出場条件は「標準記録」と呼ばれる基準を突破すること。つまり、順位が悪くても記録さえ良ければ駒を進めることができるということです。対して高校陸上は順位が全て。「速い」選手ではなく、大舞台の決勝で自分の力を出し切り勝負を決めることのできる「強い」選手のみが夢を叶える

その厳しさ難しさが高校陸上の辛いところであり、魅力でもあります。

 

 

 

 

この、陸上という名の青春を懸けて戦う総体路線の一番最初のステージである地区予選がGWに開催されました。

僕はもう大学生なのであまり関係がないのですが、多くの後輩部員がこの大会で引退するためOBがこの大会を見に来ることが僕の高校では一種の伝統となっていたこと、また単純に陸上を見に行きたかったことなどがあり、競技場へと足を運びました。

 

 

 

競技場に到着し、後輩や「あいつはインハイ行く」などと噂が立つほどの実力者の走りを一通り見た後に母校のテントにお邪魔することに。

 

 

するとそこには当然後輩がいるわけなのですが、僕の同期も応援ということで競技場に来ていました。その中で1人女子の同期が後輩の女子部員となにやら二人で話をしています。

 

 

 

テントに入りなんの話かと聞いてみると「恋愛」についてこれ以上ないくらいにアツく語っていました。引退試合やぞ....

 

 

 

とはいえ僕もみんなでそういう話をするのは大好きだし、なんなら走るより好きなので参加することに。

 

 

 

 

 

 

 

そこでは本当にいろいろな話をしたのですが、一つとても印象に残っている話題があります。それはタイトルにもある通り「自己中な男はモテる」です。

 

 

 

 

自己中な男はモテる。一度でも聞いたことがあると思います。

それも少女マンガに出てくるようなオラつき王子様タイプではなく、ヤンキータイプが学年の美少女と付き合うようなシチュエーション。

僕は特に中学校にそんな印象があります。ミニチュアスラム街と呼ぶにふさわしい僕の出身中学校では、暴力が流行していました。もう字面からしておかしいのですが、力こそ全て。力こそパワー。毎日がエブリデイ。エブリデイバイオレンスな、1990年代のロサンゼルスを彷彿とさせる環境でした。1990年代のロサンゼルス知らんけど。

 

 

そんな環境でモテていたのはやはりワル目男子。彼らはとにもかくにも自己中で、自分の思い通りに事が進まないとなるとすぐに凄んだり暴れたりして道を切り拓いていました。ひどい時は冬に「寒くね?」といいながら下駄箱で傘を燃やしていたりしていました。物体を介さずに直で熱を受け取ろうとする彼らの男気は十分に理解できるのですが、もう少し穏便にやってくれ。昔ストーブの鉄板の上にペットボトルのキャップ乗っけてボヤ騒ぎ起こした俺の小学校のサトウと同じじゃねぇか。小学生だぞ。

 

 

 

でもモテる。美少女と、付き合う。

 

 

 

 

中学生の時からずっと疑問に思い続け、具体的な答えを得られぬまま大学生になりました。

 

 

 

 

ですが、このGWに同期と後輩で3人で話した結果ある答えらしきものを発見。

 

 

 

 

それは、「相手のことを考えた自己中」だからモテる、というもの。

 

 

 

 

?????自己中の意味分かってるか?となるような答えですが、これについては後輩の女子がとても納得の行く考えをくれました。彼女は

 

 

 

 

 

「自己中って言っても色々あると思うんですけど、モテる自己中っていうのは相手のことを考えてる自己が中心となって回る感じで引っ張るやつだと思うんですよね」

 

 

 

 

 

と言っていました。相手のことを考える自己が中心にある。つまり、ここでの自己中とは「紳士の精神を軸とした上で女の子を引っ張っていけるやつ」ということです。

 

 

 

 

 

それはモテるわ。よく考えれば俺の中学のヤンキーって女子には優しかったわ。

 

 

 

 

 

そこに少し僕の考えを付け足すとすると、女の子を引っ張っていくための決断力。それの裏打ちとなる自信というものも大きな要素となっていると思います。女の子に余計な選択(どこに行くだとか、何を食べるだとか、何をするだとか....)をさせず、自分の選択を貫く。もちろん女の子からの要望があれば可能な限り取り入れ、自分の決断材料にするでしょう。しかしあくまで選択をするのは男。常にリードしてあげる立場に立つ。

 

 

 

繰り返すようですが、ただの自己中との差別点はその選択における本人の自信の有無

自己中な奴は自信を持って選択しているというよりは、「これがイイ〜ほかはヤダ〜」といった風にその選択肢に固執している傾向があります。これには「ここで自分の要求を通さないと自分が下に見られる!!」といったちっぽけなプライドを守るための回避行動精神が根底にあると思うのですが、真に自信がある人間は上下を一々考えないので相手の希望を包むように受け入れた上で自分が主導権を優しく握る

 

 

 

 

モテ自己中の選択には自信と責任がある。そこがカッコいい。

 

 

 

 

 

 

 

 まぁ、全てのヤンキーがこんなこと考えてるとは到底考えられませんし、途中から僕の理想論のようなものも織り交ぜて文章を書いているので現実のケースと完璧に当てはまるかと聞かれればそれは無いのですが、あくまで一つの意見としてお読みください。

 

 

 

 

 

こんな男に、なりてぇなぁ。

 

 

 

 

 

 

☆      ★      ☆

 

 

 

 

 

僕は自分の記事に対して自分の考えが正しいなどとは思っていません。

こんなことを言っているとブロガーたるもの自分の考えを貫け!と怒られてしまいそうですが、僕は自分の考えを他の考えとまずぶつけてすり合わせてみて、自分にとって有益なものであれば取り入れてアップデートする、という前向きな流動性を持ったやり方がすごく好きです。

なので、もしこの記事を読んで「それは違う」と思った方がいれば、ぜひコメント欄にて意見を書いて下さるととても嬉しいです。特に今回の記事の内容的に女子の方。

同意のコメントも、もちろんとても嬉しいです。

 

 

 

 

それでは、また次の記事で。

 

 

 

壁に耳はあるし、障子に目はあるという話

 

僕の友達にケンという男がいる。

 

 

 

彼とは中学の陸上部時代から仲が良く、お互い高校生になっても陸上を続けていたので競技場で会えばくだらない話をしてバカ笑いするような関係だった。

 

 

 

 

どちらかの調子が悪い時は、家の近くの公園で学校帰りに陸上についての話をして励ましを送ったり、送られたり。

 

 

 

 

そんな心優しい彼は少し、いやかなりお調子者な面があり、思ったことをすぐに口にする癖がある。

 

 

 

 

 

僕と同じ大学一年生であるケンは、入学早々に大学で中学の同級生に再会した。

 

 

 

 

 

彼女の名前はマリ。中学生の時は吹奏楽部に所属しており、おしとやかながら年齢にそぐわぬ色気を放っていた彼女はいつも学年の男子から人気だった。

 

 

 

 

 

そして、ケンはマリが好きだったのだ。それでも、自分の気持ちを打ち明けることはなく卒業。

 

 

 

 

 

そんな状況でマリと再会したケンはとにかく嬉しくてしょうがなかった。

 

 

 

 

 

学部のグループから即座にマリのラインを追加し、やり取りを始めるケン。

 

 

 

 

 

かなり積極的に、攻めたラインを送っても相手の反応は良かった。

 

 

 

 

 

 

「私最近一緒に帰る友達いないの〜」そんなマリのラインにケンは高ぶった。

 

 

 

 

 

「そうなんだ、じゃ俺と帰ろ笑」

 

 

 

 

 

「うん!ありがと笑」

 

 

 

 

 

ケンは完全に勝利を確信していた。いや、彼でなくとも、男なら、確信するだろう。

 

 

 

 

 

イケる。

 

 

 

 

 

ワンチャンある。

 

 

 

 

 

そんなあさましい下心がケンの頭を支配する。

 

 

 

 

 

そうしたラインでのやり取りをしているある日、彼は友達と食堂でマリのことについて熱く語っていたという。ここで先述の、彼の悪い癖が出てしまう。

 

 

 

 

 

「絶対イケる」

 

 

 

 

 

 

「マジヤれるからこれw」

 

 

 

 

 

 

ラインでのやりとりが上手く行っているだけでここまで増長する男も珍しいと思うが、それだけ彼はマリを落とす自信があったという。友達と大声でマリのことで盛り上がっていた。

 

 

 

 

 

 

「いやホントヤれるからなw」

 

 

 

 

 

 

 

そう、ケンが言った時、彼は背後に視線と、嫌な予感と、何かを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

ケンは振り向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからというものの、ケンのラインの通知に「マリ」が表示されることは無くなった。

 

 

 

 

☆         ★         ☆

 

 

 

 

こんにちは。太宰です。いきなり僕の友達についての身内話から始めてしまいましたが、これは実話です。ケンに話を聞いた僕でも本当にできすぎた流れだと思うのですが、そのくらい現実とは奇妙面白いのです。

 

 

 

 

 

「壁に耳あり障子に目あり」ということわざがあります。「秘密は秘密に話していると思っていてもどこからか漏れることがあるから気をつけろよ」という意味なのですが、秘密に限らずともこれは他人事ではありません。特に悪口。

 

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こちらの記事でも取り上げたのですが、悪口や、そうでなくとも本人に聞かれたら嫌がるであろうことは極力言わないようにするのが賢い。っていうか記事にもしてるけど言わないのが一番。

 

 

 

 

「そんなことわかってるよ」と思うかもしれません。ですが、そう思ったあなたも疲れている時、舞い上がっている時などにそこまで気が回るでしょうか。

 

 

 

 

バイトの疲れから、ついロッカーで店長の悪口を言ってしまったり、部活の疲れから、つい顧問への愚痴を言ってしまったり。はたまた冒頭のケンのように恋愛のことをあけすけに友達に喋ってしまったり。

 

 

 

どこで誰が聞いているなんて、予知することは不可能です。本人が聞いていなくとも、本人と仲の良い人が聞いてしまっていたらアウト。

 

 

 

どうすればいいのか。それは遠距離攻撃です。

 

 

 

現世はストレス社会。僕は悪口はやめたほうがいいという内容のことを記事にしましたが、どうしようもなく嫌なことや愚痴悪口恨みつらみを吐き出さないとやっていけない日があることは、18年という小さく浅い年月を生きた自分でも理解できます。

 

 

 

だから、「言うなら遠くで」を意識してみてはどうでしょうか。

 

 

 

悪口、愚痴、その他諸々聞かれちゃダメなこと。遠くで。

 

 

 

 

バイト先の悪口を言いたければ大学で。大学の愚痴はバイト先で。

 

 

 

 

コミュニティをズラすことで、異なるバックグラウンドを持つ人間から新鮮なアドバイスを貰うこともできるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしそれでバレたらどうするか?

 

 

 

 

 

 

 

諦めるんだよ。さすがにムリだろそれは。

 

 

 

 

 

 

それでは、また明日。

 

他人の悪口を言うのはマジでコスパが悪いから対策しよう

 



こんにちは、太宰です。

 

 

仲のいい友達と4人で集まったりした時、つい誰かの悪口で盛り上がってしまうこと、ありませんか。

 

 

 

 

 

「アイツこの前さ........」

 

 

 

「マジ?やっぱキモいなw」

 

 

 

「ほんとな。マジうぜぇ。」

 

 

 

 

 

こんな会話、したことありませんか。僕はあります。たくさん。

 

 

 

僕は過去、特に高校2年生の時にはこんな会話ばかりしていました。あの時は「悪口を言わない人間は逆におかしい」「言いたいことははっきりと言うべき」「我慢はしない」という何かを履き違えた超攻撃的性格でした。

 

 

 

 

おかげで今でも何か理不尽な絡みを受けた時にははっきりとキレて自分の価値を下げずにいることが可能になったのですが、「悪口」の癖がとても厄介。達者に毒を吐くのに慣れてしまっていた僕の舌と喉はせり上がってくる悪意への対処がしづらくなっていました。

 

 

 

 

 

なんとかしてこの癖を抜いてしまいたいと、高校3年生の時に日頃から意識しているうち、あることに気づきました。

それは、タイトルのように「悪口はコスパが悪すぎる」ということです。

「コスパ」とは「コストパフォーマンス」という意味で、どれだけのコストにどれだけのパフォーマンスかという指標です。なので、その二つを分けて紹介します。

 

 

 

 

 

悪口のコスト

  • 周りからの信頼
  • 自尊心
  • 時間
  • 人格の善良な部分

 

 

まず周りからの信頼。当たり前ですが口を開けば悪口って感じのやつにまともなのはいません。後述するコミュニケーションとしての悪口を除いて、自発的に悪口だらけでいると「あいつ他人の悪口ばっかだな」という風に周りから認定を受けてしまいます。

 

 

次に自尊心。ソースが明確でない情報で他人を説得させるのはヤバいのですが、「脳は主語を認識できない」という通説があります。つまり「あいつキモいよな」というと脳は「俺のことやん...」と勝手に認識してダメージを受けてしまうのです。

まぁそれを差っ引いたとしても悪口を言い続けていると「なんか俺嫌な奴だな」ってふと我に返る瞬間があると思います。その瞬間、その感情、大事にしていきましょう。

 

 

そして時間。これに関しては言わずもがなですね。悪口に割く時間はもったいねぇ。その時間で他人を褒めたり、楽しく笑ったり、このブログを読んだり。色々できる。

例えば大学生活四年間のなかで友達と20分だけの悪口トークを週二でやるとすると、長期休暇を大体で考慮して大雑把に計算しても4800分。80時間他人の悪口に使ってることになります。飲み会での愚痴なんかも含めたらもっと増える。

 

 

最後に人格の善良な部分。悪口が習慣化してしまうとここが侵されていきます。人間とは慣れの動物です。悪口にも当然慣れます。例えば周りの人間が悪口だらけのレベルの低い集まりだとして、その中で過ごしているとやっぱり人格、性格というものは変わってしまいます。

 

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 環境の重要性についてはこちらの記事で触れています。

 

 

 

 

 

悪口のパフォーマンス

  • 一時の友達との盛り上がり、一時のストレス発散

 

 

 

以上です。悪口にパフォーマンスがあったとしても刹那的なものしか生みません。あれだけのコストをかけてまで取りに行きたいパフォーマンスでしょうか。

 

他人の悪口を言うのはマジでコスパが悪い。

 

 

 

 

☆       ★       ☆

 

 

 

 

そうは言っても

上で後述するとした「コミュニケーションとしての悪口」は避けられない。どうしようもありません。完璧に悪口を言わない!と決めて生きるのは良いと思うのですが、それを貫き通そうとすると悪口を言わないことによる利益が出るよりも先に友達が減るという損失が発生することになりかねません。

 

じゃあどうしたらいいのか?それは「曖昧な同意」です。

自発的な悪口は避け、積極的な同意も避ける。

 

この記事ではいくつかの使えるフレーズを並べていきます。基本的には仲間内で誰かが誰かの悪口を言い始め、盛り上がりつつある時に使います。

 

 

 

 

  • 「悪いやつじゃないんだけど、そういうとこもったいないよね〜」

実体験から言うとこれが最強です。悪口というのは基本的に他人の短所を突っつくものですが、こう返すと「短所」ではなく「伸びしろ」と認識していることになります。初めはそう思っていなくても、この返しを続けているとだんだんと思考の流れが変わります。人が言葉を作るように、言葉も人を作ります。

 

 

 

  • 「えぇ〜そうなんだ、意外だわ」

これもなかなかの使いやすさです。いつも話題に上がるような人間には使えませんが、初出の人の悪口の場合はまずこれで流しておきましょう。「意外だわ」の部分に悪意を感じてしまうかもしれませんが、別に良い方の悪意か悪い方の悪意かなんて誰も言っていません。もしそこの認識ズレが怖いなら「話すといいやつなのにな〜」とでも言っておきましょう。

 

 

 

  • 「まぁまぁそういう奴は無視っしょ!」

これは悪口を言っている人との関係性にもよりますが、同意とか同意しないとかそういう次元を越えて相手に軽くアドバイスしてしまう言葉。この時に大事なのは決して上から目線になってはいけないということ。「同じ目線感」を出すためにも言う時はなるべくくだけた口調でいきましょう。

 

 

 

 

 

☆       ★       ☆

 

 

 

 

悪口のコスパの悪さ、また悪口大会の対処法などをざっくりと書いてきましたが、正直上の3フレーズだけ覚えて生活してればコスパがどうだとかを理解していなくても悪口を言うという行為から自分をほどほどに引き離すことは可能だと思います。

 

 

 

なんて記事を書きましたが、実は僕も悪口回避に関してはまだまだです。

一緒に頑張ってみませんか。

 

 

 

 

他に良い方法などあれば、コメント欄でお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

それでは。