俺多分ドラマの主人公

大瀬戸バカ日記

大学1年生大瀬戸。このブログを読めば日々がちょっとドラマチックになる。

半年前の三ツ矢サイダーと将来の夢

 


久しぶりに自室を掃除した。

 

 

 

掃除する前は別に普通の清潔度の部屋だと思っていたけれど、いざ本気を出して掃除してみるといかに汚かったかということを思い知った。髪の毛チン毛スネ毛など体毛はもちろんのこと、何ヶ月前のものか分からない一粒残ったハイチュウ、高校の卒業式の時に買ったであろう謎に寄せ書きがされてある三ツ矢サイダーなどが当時の形を綺麗に保ったまま出土した。

 

 

 

そんなこんなで掃除をしていると、俺が幼稚園の時の卒園アルバムが出てきた。綺麗にラミネート加工された表紙には幼年期特有の大小バランスの狂った文字で

 

 

 

「よぅちえんのぉもいで」

 

 

 

と書いてあった。懐かしくなってしまい掃除の手を止めてアルバムを眺める。俺は年少、年中、年長とあるなかで年中から入ったため2年分の写真しか無いのだけど、それでも漫画3冊分くらいの厚みはあった。

 

 

 

 

前半のページを見るのにも飽きて、パラパラとページをめくっていると、最後に「しょうらいのゆめ」というコーナーが出てきた。それぞれの夢に合わせた可愛い衣装のイラストにそれぞれの顔がはめ込まれるというかなり手の込んだつくりになっていて、自分ではないクラスのものもまじまじと見てしまっていた。

 

 

 

 

自分のクラスを探す。年長さんクラスの時はうめ組だった。しばらくページをめくるとそこには13年前の俺が今とあまり変わらない笑顔でそこに立っている。

警官の制服を着て。

 

 

 

 

 

俺の"しょうらいのゆめ"は警察官だった。嘘だろ?警察官?といまいち何かが引っかかるような疑問を頭の上の方に持ち上げてしばらく考えていると、その時のことを思い出した。

 

 

 

 

 

確か合唱のように園児がステージに並び、名前を呼ばれ次第各々の夢を大きな声で叫ぶというものだったのだけど、俺はその時夢が無かった。夢が無かったんだ。だから、俺の一個前に発表するやつの夢をそのまま答えようとしたんだった。思い出した。

 

 

 

 

 

幼稚園といえば夢に困らない時期だと思う。いわば現実というものを知らないし、またその現実すらひっくり返すくらいの可能性に満ち溢れている。そんな時期に夢が無くて隣のやつの夢をパクるだなんて、そりゃあ大学生になってインターネットの片隅でブログなんざを始めるわけだ。

 

 

 

 

 

それで今の俺に夢はあるのかというと、残念なことに依然として具体的なものは無い。

 中学生の時に陸上で1,2回だけいい成績を残した時には周りからの声もあり、一瞬だけ陸上選手が頭によぎったが、すぐに「さすがに陸上じゃ食ってけねぇだろ」と目を覚まして高校入試に備えてせかせかと受験勉強などをしていた。

高校時代もよく考えれば夢なんか無かった。夢について語るくらいなら友達と集まってあいつは誰が好きだとか、誰々はエロいだとか、そんなクソほどの役にも立たないクソみたいな話をしていたかった。それに俺の高校はいわゆる進学校という位置付けだったこともあり、夢を追うとかそういうことをする前にまず受験だった。

 

 

 

 

俺は人生を通して夢が無い。何か小説やら映画やらに影響されて「◯◯になりてぇ」と突発的に思ったことはあるが、それも3時間も経てば忘れていた。

 

 

 

 

 

それでも、俺には確かに夢は無いけれど、目標はある。

こういう書き方はずるいのかもしれないが。

 

 

 

 

 

それは「楽しい家庭を築く」というもの。

確かに、確かに俺には夢はずっと無かった。けれど、こういう願望というか目標と言うか、人生の延長線に存在していて欲しい未来というようなものはいつからかこれだった。

 

 

 

というのも俺は、俺を不自由無く育ててくれた両親に大きく感謝はしているけれど、その親と絶望的に馬が合わない。別に喧嘩ばかりではないし、それだけで不幸せなわけでは無いけれど、何か違うような、雰囲気が自分に合っていないサークルの飲み会に来ているような違和感が人生を通してずっとあった。一人っ子ということも大きく関係しているのだろうか。

 

 

ともかく、そんなこともあり俺はいつからか「家族全員がくだらないことを言い合って爆笑できるような、楽しくてあたたかい家庭を築きたい」と思うようになった。

 

 

 

今こうして考えると、これが一番難しい。願望が現実社会に肉薄すればするほど自身の人間力を問われるから。実現不可能な夢をずっと言い続けるのは楽なことだ。

 

 

 

 

夢見る少女じゃいられない、いや俺は最初から夢見る少年では無かったが、だからこそ他人より現実と戦う準備はできているのかもしれない。こっちは18年ウォーミングアップしてきてんだよ、なんてな。

 

 

 

大学一年生の夏休み、夜中にPCを引っ張り出してこんなくだらないことをダラダラと書くような自意識を持つ人間なんじゃ、とても警察官にはなれなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[東北一人旅(後半)]青森ねぶた、ガチ感動

 今回の記事はこちらの続きとなります。

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朝、目を覚ます。秋田駅から少し離れた宿泊施設。

 

 

宿泊費を限界まで削ったため、天井まで届いていない一枚の仕切りで分けられたネットカフェのような部屋で身支度をする。体が痛い。

 

 

 

早々とチェックアウトし、秋田駅へ。

 

 

 

 

まずは弘前駅へと向かう電車に乗り込む。

 

 

 

 

この時実は駅弁を購入していたが、乗った車両は席が向かい合わせになっている様なよくある「駅弁を食べられるシート」ではなく、至って普通のシートだったため駅弁を楽しむのは断念。

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晴天の大自然を、川が流れる如くゆったりと進む電車に身を任せること2時間。

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弘前駅に到着。

 

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青森駅行きの電車が来るのは一時間後なので、ここで食べるのを断念した駅弁を開ける。

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美味い。

 

 

 

この時あまりのウマさにニヤつきが止まらなかったのを今でも覚えている。長時間の電車移動で疲れた体にこの弁当。最高である。

 

 

 

荷物の整理をして、溜まったゴミを捨てて、SNSなどを軽くチェックしていると電車の発車時刻に。急いで青森駅行き電車に乗り込む。

 

 

 

40分後、青森駅に到着。近くにある

ねぶたの家  ワ・ラッセという青森市の文化交流施設にはねぶたが飾られていた。カッケェ。

 

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青森駅に到着したのは16時過ぎ。まずは最寄りの快活クラブへと向かい、必要な荷物以外全て部屋に投げる。できたばかりの店舗だったため部屋が綺麗でテンション爆上げ。

会員カードもタダで作れた。300円の節約でも嬉しい。

 

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昔から男というものはこういった自分だけによって支配される閉鎖空間が好きなのだ。

 

こんなしょうもない部屋の画像を上げることからも察せるが、旅の間僕のインスタはストーリーがハチャメチャにうるさかった。しゃーない。

 

 

 

 

 

ボディペーパーで体をある程度拭き、Tシャツを着替え、ネカフェ特有のデカPCをがちゃがちゃといじって時間を潰したのち、頃合いを見て青森駅へ。

 

 

 

 

少し薄暗くなった19時、駅に着くとそこでは深く響く太鼓の音に吸い寄せられるかのように沢山の人々が集まっていた。僕は高鳴る胸を押さえつつもねぶたが通るルートへと足を進めた。

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途中で牛串(500円)を購入。まず牛串を食べたのが人生初だったけれど、これはこの先食べるどんな牛串よりも美味い。そう言い切れるほどのものだった。美味すぎて警察呼ぼうか迷ったほど。

 

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その後、人が沢山いるのにわざわざ青森美女に道を聞いたり、その先でも道に迷いそうになったため青森美女に道を聞いたりしながらもなんとかねぶたが見やすいポイントを見つけることに成功。

 

 

 

 

 

ねぶたがやってくる。

 

 

 

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鳥肌が立った。

 

 

 

 無意識に「スゲ........」という声が出た。

 

 

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ド迫力、大迫力、超迫力、そんな言葉では表せない。迫力があるのは確かなのだが、一つの単語にはまとめられない。結果として鳥肌が立つ、そんな迫力。

 

 

 

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また、ねぶた祭りには「ハネト」と呼ばれる人達がいる。青森ねぶた祭りの踊り手として山車や囃子とともに練り歩き、祭りを盛り上げる。ちなみにこれは正装さえ纏えば誰でもいつでも参加可能。

 

 

 

「ラッセラー、ラッセラー、ラッセラッセラッセラー」という威勢のいい掛け声とともに片足跳びでハネる。僕は今回ねぶたをしっかりと見るのが目的であり、なおかつお金が無かったのでハネトとして参加することは叶いませんでしたが、もし僕が次にねぶた祭りに行くとしたら絶対にハネトをやります

 

 

青森ねぶた祭りには問答無用で行くことをおすすめするのですが、ハネトも特にオススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

21時にはねぶた祭りも終わり、僕は名残惜しい気持ちと共に宿へと歩いて戻ることに。

 

 

 

 

夜道を歩きながらこの二日間を思い出す。

 

 

 

 

はじめは「日本人だから見ておきたい」という軽い理由で決めたこの東北一人旅。

 

 

 

 

 

いざ行ってみると、力強く美しい文化に圧倒された。

 

 

 

 

 

秋田の竿燈まつり、青森のねぶた祭り。担い手としての誇りを感じる、現地の方々による熱い掛け声、演技、まつり。

 

 

 

 

色んな言葉は思いつくが、どれも陳腐に聞こえてしまう。

 

 

それでも、一番適切であろう僕の感想は、「カッコいい」である。 

 

 

 

 

これ以上の説明こそ陳腐である。ぜひとも来年は秋田竿燈まつりや青森ねぶた祭りを実際に見に行って欲しい。カッコいいの意味が分かることだろう。

 

 

 

 

 

 

真夏の青森、生ぬるい空気をくぐる。

 

 

 

 

 

古びた自販機で三ツ矢サイダーを買って少し休憩をした。

 

 

 

 

爽やかな炭酸が、この夏の旅の思い出の額縁となるような気がした。

 

 

 

 

 

カッコいい思い出をありがとう。

 

 

 

 

また来るよ、東北。 

 

 

 

 

僕はまた宿へと歩き始めた。

 

 

[東北一人旅(前半)]秋田竿燈まつり初体験

こんにちは。大瀬戸です。

 

 

今年は例年より梅雨が長かったようで、やっと夏らしい天気が続くようになってとても嬉しいものです。毎年毎年、この夏が始まっていくような突き抜けた熱気を感じると心まで熱くなってきます。

 

 

 

大学生の夏休みはバカほど長い。朝食後の父親のトイレくらい長い。そしてこの長い長い夏休み序盤、東北四県では東北四大祭りがそれぞれ行われます。

 

 

青森県、ねぶた祭り。

 

秋田県、竿燈まつり。

 

山形県、花笠まつり。

 

宮城県、仙台七夕まつり。

 

 

毎年人気の熱気あふれるこのまつり。僕は高校三年生受験期真っ只中にツイッターで祭りのきらびやかな写真が流れてくるのを眺めながら「日本人として来年は絶対に行ってこの目でまつりを見てぇ。行く。」と固く決意をしました。

 

 

 

そうして念願叶いギリギリではあるものの大学生になった僕は今年、青森で開催されるねぶた祭りと秋田県で開催される竿燈まつりに行くことにしました。

 

 

 

残念ながら日程的に残りの花笠まつりと仙台七夕まつりに行くことは今回できませんが、今回の一人旅は東北四大祭り前半戦と称しまして後半戦は来年、大学2年生の夏に行くことに。進級できればの話ではありますが....

 

 

 

 

 

 

 

 1日目 秋田竿燈まつりへ

 

 

8月5日、朝5時。ここ最近夜の2時に寝て朝は11時に起きる生活が続いており、朝7時に出発予定の飛行機に乗るつもりの自分は本当に起きられるものかどうかとビビっていたが案外起きられた。

 

 

 

 

 まぁ実際はただでさえ起きれるか怪しいくせに暑さのせいで寝付きが悪く

「未解決事件怖すぎワロタwwwwwwwwwww」みたいな名前のスレッドのまとめをずっと読んでたら寝るに寝れなくなり、横になって寝たフリをしていただけの話ではあるが.....

 

 

 

 

そんなこんなで家を出発、バスに揺られて羽田空港へ。

 

 

 

北ウイングへと向かう。

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手荷物検査を終え、搭乗口で搭乗を待つことに。友達としているLINEを通知が溜まらないうちに光速で返していく。

 

 

 

 

その昔、スマホ依存症だった中学生~高校生の僕は(今は超スマホ依存である)あまりの返信の速さに「冬の落陽」と呼ばれていた。返信スピードもさることながら入力速度もかなりのものだったため、僕とリアルタイムでLINEをする友達は僕のあまりの爆速返信に「こいつのLINEはもしかして高度に最適化された人工知能が管理しているのではないか」と思うほどであった。ここまでのくだりは僕の返信と入力が早いこと以外全部嘘ですが観光を続けます。

 

 

 

 

そんなことをしていると「次の便(僕が乗る予定のやつ)がワンチャン人数過多で一人乗れなくなるかもしれない。一人、それの一個後の便にしてくれたら一万円か7500マイルあげるよ」という主旨のアナウンスが入った。

 

 

 

僕は別に竿燈まつりが見られれば良いので即座に一万円目当てでCAさんにウキウキで話しかけた

 

 

 

大変感謝され、あふれる人が出たらすぐに連絡しますと言われた。そして搭乗が始まって10分。普通に乗れるとのこと。惜しい。 

 

 

 

 

 

 

そういうわけで飛行機に乗り込みわずか一時間、 秋田空港に到着。

「ようこそ秋田へ」の看板を目にし胸が高鳴る。

 

 

 

それ以上に「秋田美人」と書かれた看板を見てさらにテンションが上がる。もっとフォーマルでしっかりしたウェルカムボード沢山あったのに撮った写真はこれしかなかった。やはり本能には抗えぬものか.....

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空港発秋田駅着のバスに乗り込み、揺られること約40分。

 

 

 

 

 

ひとまず無事に秋田駅に到着。

 

 

 

 

 

 

普通ならここで秋田でしか食べられないいわゆるご当地グルメを食べに行くのが筋だし自分もそうしたかったのだが、僕はローソンに直行し

 

 

 

「レペゼン地球 炎上万博 もちろん俺らは更生するで?コブシで」

 

 

 

というイベントのチケットをロッピーで手続きしていた。支払期限を忘れており、調べてみると秋田に着いてから発券するしかなくなっていたのである。

 

 

 

脈々と受け継がれる日本文化の結晶ともいえる秋田竿燈まつりを見に行く日にYoutuberの殴り合いを見に行くためのチケットを発券するのは無礼極まりない行為である。しょうがない、美とは常に二項対立の中に生まれてきたじゃないか....知らんけど.....

 

 

 

まぁなんでそんなYoutuberのイベントに俺が行くかって、仲良い大学の女子に行こうって言われたら行くに決まってんだろ。18歳男性のフットワークの軽さなめんな。俺はチョロい。

 

 

 

 

 

 

 

その後は一度宿に荷物を預け、 秋田駅の隣駅である羽後牛島駅から秋田駅に戻ろうとしたら次の電車が二時間後であることに気づき絶望したり、宿のすぐ近くに快活クラブを見つけてしまい宿を取ったことを後悔したり、思ったより秋田県が灼熱で体力削られたりしていました。

 

 

 

電車が来なさすぎる事実に改めて驚きながら、待つことを諦め8月・灼熱の秋田・炎天下を歩き続けること40分。やっと秋田駅。

 

 

 

宿に荷物も預けたし、ようやく観光へ。

 

 

 

 

 

 

秋田駅から徒歩10分ほどの広場にて昼竿燈の妙技会なるものをやっていた。それぞれの団体の竿燈のパフォーマンス(と言って良いのかは分からないが)を競い合い、優勝した団体はメインである夜の部で先頭を切って演技することができる。

 

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もう技が凄すぎて「うわ....」みたいなことしか言ってなかった気がする。こんなバカでかい竿燈をたった一人で支えて、柄を頭に乗せたり肩に乗せたりする。異次元

 

 

ここでそもそも竿燈って何?何のためにこれしてるの?ということを説明すると、 

竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈る。 

 ためのものだそう。なるほどこんなすごい演技ができるなら来年も豊作だ。

 

 

 

 

 

その後はどうにもお腹が空いてしょうがなかったので本家あべやというところで親子丼を食べた。普通の親子丼と、「極」と称された親子丼があったので僕は迷わず極を選択。

 

 

何が違うのかも確かめずに注文したが、待っている間にメニューをよく見るとどうやら比内地鶏をミディアムレア気味に焼いて甘辛いタレを絡めた上に温泉卵を乗っけているというもの。

 

15分ほど待ち、「極」が運ばれてくる。

 

 

 

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めちゃくちゃ美味しかった。

僕のようなパンピーが食についてどのように形容しようがそれは薄っぺらい感想にしかならないことを承知の上で記すが、本当に美味しかった。

 

地鶏らしい噛んだ時の確かな反発、そして焼くことによりサクッと歯の入る比内地鶏の軽い食感、続いて弾力満点の確かな歯ごたえ。そこから繰り出される鶏の肉汁、それに絡みつく甘辛タレ。旨味を口一杯に広げた状態でゆるめのふわふわ卵とじと少し残ったタレにより半雑炊状態となった親子丼を一気にかきこむ

 

 

朝7時の便で東京からこちらに向かい、さらに炎天下の秋田を歩き回った僕の疲弊した体を癒やすのには十分すぎる一品。いぶりがっこもハチャメチャに美味い。

 

秋田比内地鶏生産責任者の店 本家あべや 秋田店

食べログ 秋田比内地鶏生産責任者の店 本家あべや 秋田店

 

 

 

元気を取り戻し、近くで現地民っぽい人に話しかけ色々聞いたり、秋田県立美術館で藤田嗣治の作品を見てその大きさと雄大さに絶句していたらもうすっかり夕方の6時。竿燈まつりの会場となる通りへと向かう。

 

 

 

とりあえず沿道に陣取り、待つこと50分。手には屋台で購入した横手やきそば。準備は完璧。

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始まった。

 

 

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心臓に響く太鼓の音、笛、掛け声からなる竿燈囃子とともに竿燈が通りに運ばれてくる。

 

 

 

そして開始時刻。一斉に男達が竿燈を持ち上げる。

 

 

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綺麗すぎる。

 

 

竿燈囃子の中に灯を宿し揺れる竿燈の輝き、そしてそれを支える差し手の動き。全てが僕の視界と心を覆っていったのを確かに覚えている。

 

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「綺麗」だなんて言葉がどうしようもなく陳腐に感じられるほどの美しさが確かにそこにはあった。このブログの記事を読んで下さっている方がいたら、ぜひ竿燈まつりを見に秋田に行ってみてほしい。

 

 

 

 

 

 

メインの部が終わった後、子供達による竿燈演技が行われた。時折大人に助けられながらまだ拙い技術で竿燈を支える彼らだが、そんな彼らが未来の竿燈まつりを支えていくのだなと思うと、不思議と胸が一杯になった。

 

 

 

 

世の人は伝統という言葉を知ってこそいるが、それがなんなのか、どういうものなのかを感じたことがあるかと言われればそうでない人の方が多いと思う。

 

 

 

 

だが僕はそんな「伝統」と呼ぶべきものをこの目で見ることができた。

 

 

 

 

ただ辞書的な「次へつなぐ」行為ではない。それとともに成長していくこと。そしてそれに誇りをもつこと。そんな気がした。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

そんな子供達による竿燈も終わり、まつりが終わった後、バスもなかったので僕は隣駅にある宿まで一人夜道を歩いていた。

 

 

 

 

本当に綺麗だった。そんなことばかり考えていたように思う。日本の美しい伝統をこの目で見ることができてよかったと。

 

 

 

 

 

それと同時に、自分たちの世代はこの文化を守り続けなければいけない、とも感じた。

 

 

 

 

でもそれはただの傲慢と一時の感情であって、僕は家に帰ればどうせこの日に考えたことなど忘れてまた夏休みに溶けていく。

 

 

 

 

 

それでも、だとしても。

 

 

 

 

 

毎年、僕がこういった日本の文化を力強く支える美しい催しに行くことが、少しでも助けになるだろうか、くらいの傲慢を抱いても罰は当たらないだろう。

 

 

 

 

 

初めて訪れた秋田。日頃コンクリートジャングルの中で無文化的に暮らす僕に静かで深い感動を与えてくれる地だった。

 

 

 

 

 

 

 

秋田の夜風は、静かに木々を揺らした。

ありがとう、秋田。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この夏、大学生はバキバキに本を読んで知識を付けて面白いやつになっていこうぜ

もう本当にお久しぶりです。

最後に記事を書いたのがいつか思い出せないほどに記事を書いていませんでした。

 

思えば4月にこのブログを作った時の俺は「毎日更新したろ」なんて威勢の良いことを考えてブログの概要欄に「大学一年生による若くホットな記事を毎日発信!」みたいな主旨のキモすぎる文章を並べていました。

俺確かこのブログ書き始めて8日目くらいに友達と夜に近所の公園で「妄想胸キュンシチュエーション大会」してたら日付変わっちゃったから家帰って記事書かずにそのまま寝たよな。結局俺じゃなくて友達が考えた「片想いしてる女の子を映画デートに誘ったらエンドロールで暗闇の中静かに手を繋いできた」っていうのが優勝で終わった気がする。自分でも何をしているのかわからないものだけど、こういうのが一番楽しかったりする。毎日更新は8日で終わっていたのだ。

 

 

 

とまぁ更新をしていないことに対するくだらない文章はさておき、僕はこの夏に関しては一つ作戦があります。それは「バキバキに本を読むこと」です。形容の仕方がガバガバすぎるけどこれが一番ふさわしい。

 

 

 

 

本を読む

僕は大学受験を経て今の大学にギリギリで入学したのですが、入試のために受験勉強をしなければいけなかったので好きな読書を我慢して勉強に充てていました。高校2年生まで電車の中で手に持っていた小説などは英単語帳に変わってしまい、文章を読む機会といえばセンター模試の国語の現代文くらい。自分から「読みたい」と感じた本を心ゆくまで読み尽くすということを制限された一年でした。ちなみに受験期に僕が考え実行することで英単語をかなり効率的に覚えることができたことについての記事はこちらです。

 

 

www.dramatic-today.com

 

 

 

そして受験を終えた高校三年生の3月。クソほど長い受験勉強期間を経てやっと自由の身になった僕でしたが一冊も本を読むことなく春休みを終えました。え?

 

 

 

 

読書から離れすぎたせいで本を読みたいっていう気持ちを見失ったからです。

それと、まぁただ単に開放されたのが嬉しすぎてゲームばっかしてたから。受験期にキャパを優に超えるほどの勉強(もともとの受験勉強耐性がかなり低いこともあり)を焦燥感に焚き付けられながら行っていたため、「受験終わりぐらい何も考えずにできることをして過ごしたい」と考えひたすらにPS4でAPEX LEGENDというゲームをやっていた覚えがあります。開幕ジャンプマスターの譲り合いして俺に戻すな。

受験終わり、全てから開放された僕が春休み全てをゲームに突っ込んで得た感想は

「これマジ脳溶けてるみたいだし時間もったいねぇな」です。マジもったいねぇ。

 

 

 

そんなこんなで僕は読書から離れてしまったわけですが、大学に入学してからは一年生春特有の「ちょっと意識高く読書かましてくか」病の助けもあり徐々に本を読み始めました。ちなみに春休み明けに初めて読んだ本は伊坂幸太郎の「砂漠」という小説。実はこの本は高校受験が終わった後の帰省中に一回読んだ本なのですが、大学生を取り巻くさまざまな出来事についての話ということもあり読み直しました。一度目に読んだ時と同じところでえげつないくらいの鳥肌が立ちました。本当におすすめです。

 

 

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

 

 

それからも、大学のメディアセンター、ブックオフ、商店街の片隅に位置する小汚い古本屋のタイムセールなど、色々なところで本を集めて読んで、忘れていったりしました。

 

 

 

 

 

 

なんでここまで本を読むことにこだわるのか?

 

それは、「本はこの世の中でトップクラスにコスパが良い買い物」だからです。

 

 

たったの100円か、1000円かを出して本を読むと自分以外の人生(たとえフィクションであろうとも)だったり、自分の脳の外にある知識を覗くことができる。学者が自分の研究分野についてやさしく面白く書いた本などはまさに爆コスパ。

 

 

 

だってある分野に人生を賭して研究していたり、その道において成功した人間の長き積み重ね、知の結晶をわざわざわかりやすく噛み砕いて本にしてくれて売ってくれてるから。

 

 

 

これに関しては学術書じゃなくてもいい。成功した起業家の本でも、一度は没落したけれど復活した投資家の本でもいい。それを全て鵜呑みにして良いわけじゃないけれど、少なくとも視野は広がっていく。

 

 

 

 

ここで、

 

 

 

 

「わざわざ本を読むよりネットとかでまとめサイト見れば良いんじゃないの?」

 

 

 

 

って意見普通にあると思います。しかもそれはある種正しい。

 

 

でもそれが正しくなりうるのは主に社会人。時間が限られてるから。

 

 

 

 

時間のある大学生のうちに「本をまるまる一冊読んで、考える」っていう遠回りのプロセスを何度も何度も踏むことが本当に大事。

 

 

 

 

本なりニュースなりをまとめた、いわゆるまとめサイトがあんなに人気なのかっていうと、一番手間のかかる「すべての情報を流し込んだ上で整理してまとめる」っていう作業が最初から行われてる状態で情報が出てくるから

 

 

サプリメントみたいなもの。必要なものを最初から小綺麗に詰め込んでそれを手軽に流し込める。でもそうじゃなくて、時間のある大学生はちゃんと生の野菜を買ってきてそれを自分の手で調理して、食べる必要がある。たしかにめんどくさい。野菜を切るのはめんどくさい。本を全部読んで、それについて考えるのはめんどくさい。

 

 

 

 

でも、本当はそのクソめんどい思考にこそ自分の考えのキレを増してくれる効果があると僕は思ってます。なんだってそう。めんどいことって長い目でみたら結構有用。

 

 

 

 

多くの人が何も考えずに端折ったりする面倒くさいことに真面目にぶつかっていくと、人生単位で俯瞰した時に大きなアドバンテージになりうると思う。

 

 

 

 

特に感性が若い大学生のうちにそういった作業を行っておくと。

 

 

 

 

 

 

ここまでの話に加え、色んな本を読んでそれについて自分で思考したり文章を書いてアウトプットまで済ませてる奴は得てして話が面白い。カバーしてる範囲が広いから会話の中の些細なワードも拾って広げることができるし、思考がキレてるから深い話もできる。最強。つまりは、

 

 

 

 

 

 

読書は最強。

 

 

 

 

 

 

ということで、僕はこの夏休みに読んだ本については逐一記事にしてアウトプットの場としていきます。宣言したからな。僕みたいな凡人極まる大学一年生のブログに読者登録してくださっている約130名のみなさんに俺は渾身の読書感想文を届ける。

 

 

 

 

 

 

よろしくおねがいします。みなさん、良い夏にしていきましょう。

 

 

 

 

 

LINEで女の子にアプローチをかけるのは結構無駄が多い

大瀬戸です。

気づけば7月に入り、梅雨ももうすぐ明けるとのこと。どんよりと色のないこの季節この世界は、夏という空気に運ばれて色を取り戻す。

 

 

 

夏といえば、で始まる言葉はアンパンマンの新出キャラぐらいあって、まぁそれぞれに良さがあるのは十分に理解した上で"夏の恋"に勝るものは無いと思う。俺の意見だけど。

 

 

恋愛至上主義みたいなことを言ってるけどそうではなくて、情景や心の動きや空気感すべてひっくるめて考えた時、夏は恋が一番美しい。8月中旬の蒸し暑い午後8時に、好きだけど付き合ってない女の子とお互いの手と手が触れるか触れないかぐらいの間隔で、無言で、二人で、海辺の道を歩きたい。Tシャツに滲む汗も、放置してぬるくなったスポーツドリンクみたいな海風も、少し崩れたあの子の前髪だって、全てがきらきらしていて........

 

 

 

なんてことをこの前高校の友達と公園で話して盛り上がっていたら20時解散の予定が終電近くで帰るハメになってしまい翌日のバイトに遅刻して最悪だった。寝坊した理由を店長に聞かれて俺はしどろもどろになりながら「好きな女の子の事とか....考えてて....」と答えていた。ダサすぎである。こんなことなら家で反復横跳びでもしていたほうが良かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

くだらない前置きをしてしまったが、要は恋についての話、それも今回は"恋愛におけるLINE"について書く。別に俺は恋愛マスターじゃないし、恋して失敗したことなんて鬼ほど沢山あるし、なんならこの先どんなに長く生きても、沢山恋をしても、"恋愛上手"になんてなれないしなりたくないとも思っている。それでも、俺は何故か周りの人に恋愛のノロケ話から喧嘩相談まで色んな話をされるので、その中で気になったことを共有したい。

 

 

 

 

 

 

LINEで恋は進まない

タイトルにもあるがこれが全て。まずそもそものこと、恋愛みたいに複雑な感情が入り交じる物事に対して文字っていう画一的な情報伝達手段をメインに据えるのはミスマッチなのだ。平安時代とかそこらへんの人たちは確かに文通メインでやりとりしてたと思うけど、あいつらめちゃくちゃ文(ふみ)がどうだとか相手の気持ちはどうだとか詠んでるから結局文字ではお互いに正確なやりとりできてないってことだと思う。知らんけどな。俺センター古文8点だから。

 

 

 

まぁそういう情報伝達における「余白」っていうのは、相手を想う俳句みたいに芸術的側面を持たせて昇華できるならいいんだけど現世においてはそんな事できるやつはいないしする必要もない。

 

 

 

 

「こっちは相手が送ってきてから一時間で返してるのに、向こうはいつも五時間も空ける....」とか、「結構攻めたLINE送ったら『笑笑』で流された...」とか、悩むの嫌でしょ。

 

まぁLINEの内容とか返信速度とかに気持ちをいちいち持ってかれるのは俯瞰してみれば楽しいしいいんだけど。

 

 

 

気持ちの面の他にも、普通に会った時に喋ることなくなる。出身はどこなのかとか、何が好きなのかとか、最近楽しいことはとか。

 

 

 

好きなあの子の好きなことは、会って目を見て聞きたいよ、俺は......。

 

 

 

 

 

さらに言うと「LINEが盛り上がりすぎて会った時のハードル爆上がり現象」が起こるのも結構ヤバい。まぁトークにある程度自信があれば相乗効果でいい感じになるんだけど、直でまともに喋れないくせに妙にLINEが盛り上がっちゃうと実際に会った時「こいつLINEとテンションも面白さも落ちてねぇか?」って思われる。

 

 

 

LINEと現実の二つの評価軸はうまく使えばダブルパンチでかなりの威力出せるけど、下手に現実とLINEで差があるとどうにも違和感が残る。

 

 

 

 

 

 

結局会って話すのが最強だし楽しい

ここではコミュ力がどうだとかの異論は一切抜きにする。コミュ力、トーク力を理由にしてLINEでの勝負に持ち込むような男はたとえ運良く意中の女の子と付き合えたとしてもすぐに愛想をつかされる。だって付き合った後もデートなり何なりで話すし。

 

 

 

 

その力が足りないなら大学のクラスなりサークルなり、はたまたバイトとかで女子と喋りまくれば身につく。そもそも女子と話す力っていうのは恋愛力じゃなくて人間力。たとえ意中の女子に振られたとしても、そのために付けたコミュ力は絶対に無駄にならないし、次の好きな女の子との距離を縮めるのに役に立ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、実際に顔を突き合わせて喋り、お互いのことを知るというのが一番。

 

 

 

 

 

好きなあの子のLINEの「笑」より、この目と耳であの子の綺麗な笑顔と笑い声を感じたい。そういうもんじゃないすか。

 

 

 

 

 

 

だから、この記事を読んでいるあなた、あなたくらいは、好きな子のスマホに他の男からのLINEが来たとしても、動揺するようなことはないようにしてね.....そしたら俺も、記事を書いた甲斐があります.....

 

 

 

 

この記事に共感できたら、好きなあの子をご飯に誘おう。これに関してはLINEでもスナチャでもインスタでもなんでもいい。誘うことについてはまた記事を書きます。

 

 

 

 


 

 

 

恋愛のことについて書いていたら口調が変わってしまった。キモすぎである。 

 

 

 

 

 

じゃあまた次の記事で。